不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

去りにし日々、今ひとたびの幻/ボブ・ショウ

 科学者のアルバン・ギャロットは、新型飛行機の開発に取り組むうちに、新型ガラスを開発してしまう。それは、光が通過するのに何年もかかる、スロー・ガラス。製法によって光が表面に出て来る時間を調整できるため、風景をガラスの中に閉じ込め、数年後からそれを楽しむということもできるのだ。今までなかった道具を手にした人類社会は、少しずつ、しかし確実に変わり始める……。
 スロー・ガラスの発明によって富豪になったアルバン・ギャロットの物語の途中に、スローガラスに映るのが過去の光景であることの憂愁と追憶の情を描き出す「去りにし日々の栄光」、被告が既に処刑された殺人事件の現場にあったスローガラスに事件当時の光景が映し出される「立証責任」(真面目な裁判官の葛藤とやせ我慢が印象深い)、戦争捕虜に強制的に虐殺光景を見させて(当然スロー・ガラスを利用した技術である)自白を引き出そうとする「虹色のガラスドーム」の短編三本を挟んだ構成をとる。これら三編は、本筋のギャロットの物語とは関係ないが、この技術が社会に与えた影響を多角的に、しかしあくまでも個人の実感レベルで描き出している。こういう挿話も、新技術が導入された社会を描くには必要だと思います。
 とはいえ、主役はあくまでギャロットである。彼のパートもまた長年にわたるエピソード集積型の話になっている。彼はスロー・ガラス開発前から結婚しており、その相手は富豪の娘なのだ。別に政略結婚ではなさそうだが、ギャロットが自分の開発で富を得ていく過程で、次第に妻との関係性は変化していく。どちらが悪いというわけでもないのに、心が次第に離れていくのである。ここら辺は妙にリアルだ。そして彼と妻の身にも、スロー・ガラスあってこそという事態が起き、人間ドラマはさらに深化していく。また社会の方も、スロー・ガラスの制御技術が向上していくに従って、次第にディストピアめいて来て話が盛り上がるのだ。ただし特筆すべきは、全てがあくまでギャロット個人が実感できるレベル・範囲*1で処理されているということである。大所高所からの大演説など本書にはなく、過度に思弁的にも傾かない。基本にあるのは人間の感情と感傷であり、だからこそ『去りにし日々、今ひとたびの幻』は読者の心に直接訴えかけてくる。抒情豊かなボブ・ショウの最高傑作である。心して読むべし。
 なお、堅いだけではなく、遊びもある。ギャロットの義父が自動車事故を起こしたとして捕まり、ギャロットが素人探偵をやるエピソードなどはその典型であろう。意外なことにこの部分はガチでSFミステリで、奇抜なトリックがまさかの登場を果たす。一種のサービスとして非常に楽しく読んだが、恐ろしいのは、このように余裕が結構ある作品なのに、全体が220ページに収まっていることである。贅肉を削ぎ落としたという印象は全くない。むしろこの小説・作家へのイメージは、とてもふくよかなものだ。ところが実は、作品が非常に短いのである。こういう作家に接するにつけ、作品の適切な長さとは一体何かと考え込まざるを得ない。

*1:ただし、スロー・ガラス発明者という高い社会的地位がある人間のそれではある。