不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

メデューサの子ら/ボブ・ショウ

 マイラは、全部で200名ほどしかいないクラン一族の一員である。彼らは大小の気泡で呼吸しつつ水の中で暮らしており、彼らは神「カ」(片仮名のカである)を信奉し、深淵部に潜む巨大な生物ホラの襲撃に注意しながら、魚介類を獲って生活していた。しかし彼らが住む世界の海流が次第に強まってきて、魚が減って危険な生物ホラが海面近くで出没するようになるなど、明らかな異変が生じ始めた。そして拠点の《ホーム》が流されると予見したクラン一族は、この危機に際して「カ」に使いを出すべく、彼らはマイラをはじめ数名の若い男女を選び、神「カ」が待つとされる世界の中心の闇に旅立たせる。
 一方、核戦争を経て現在文明復興途上の23世紀の太平洋上では、海洋牧場の管理者を務めているハル・タラントが、見たこともない巨大イカの襲撃を受ける。どうにか逃げ出したタラントは、海で何かが起きていると感じて……。
 クラン一族はれっきとした地球人である。ただし諸般の事情から、とても通常の地球人とは思えないような生活を送っている。何せ、ずっと海の中にいるのである。呼吸のための空気が貴重な過酷な環境ゆえ、平均寿命は30歳そこそこに過ぎない。彼らがいる海がどうやら無重力に近いこと、生息する魚介類がどうも地球上に実在する種ではなさそうなこと、昔はかなりのテクノロジーを有していたようだが現在それが失われつつあることなどが仄めかされるうち、先述の危機が前面に出て来るのである。
 本書はバイオSF・物質の転送技術・核戦争後の世界・水惑星など、やろうと思えばいくらでも深入りできるSFガジェットに満ちている。特に、神「カ」の正体とそれに対する戦いは、バイオホラー的な展開を呈してもおかしくないはずだ*1。ところがボブ・ショウはこれらを非常にあっさり流す。冒険活劇に大々的に巻き込まれる、マイラやハル・タラントの内面が克明に描かれるわけでもない。「私が/俺が、人類を救う!」というヒロイックな雰囲気は希薄なままだし、個人的懊悩が強調されてもいない。とはいえキャラクターはしっかり描けていて、マイラもハルも恋愛がうまくいっていないとか、ハルに脱走兵としての屈託があるとかいったことが妙に印象に残る。何より、最後の最後で、ハルがマイラと結婚しようと思っていることが唐突に明かされても(それまでその種の描写はほとんどなかったのに!)、全然違和感はない。これは、作者が登場人物の性格をしっかり打ち出せていたことに他なるまい。また、クライマックスの描写はめちゃくちゃ駆け足だが、SF的に何が起きているかはちゃんとわかるようになっている。これもまた、作者が必要十分な情報をしっかり作品内で提供できていた証となるだろう。先ほど「SF設定に深入りしない」という趣旨のことを述べたが、それも整理整頓が行き届いているからそう思わせるだけなのである。事実、神「カ」の正体はなかなか面白いし、何より、クラン一族が住む場所の光景は(美しいばかりではないが)筆舌に尽くしがたい。その描写には「SFは絵だねえ」という至言がとても似合う。ハードSFしか認めませんという方以外には十分楽しめるはず。
 全てはあくまでとても淡々と、しかし流麗に描かれる。多分これがポイントであり、ボブ・ショウの醍醐味そのものなのだろう。いい作家だと思います。日本ではサンリオSF文庫からしか刊行されていないのが残念。

*1:個人的にはクーンツの『ファントム』辺りを想定している。