不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

エア/ジェフ・ライマン

エア (プラチナ・ファンタジイ)

エア (プラチナ・ファンタジイ)

 訳者の古沢氏がいみじくも語るように、主人公のチュン・メイは「おばさん」である。彼女はとにかく我が強い。自分の言っていることは常に正しく、その正義の前には旦那・子供・親族・親友・愛人その他も何のその、来るべき超ネットワーク・システム《エア》の本格稼動前に、テレビすら希少な山間部のキズルダー村を情報社会に適応させるべく、メイはがむしゃらに頑張る。典型的とまで言える《発展途上国の田舎》の生活を送っていた村人たちは、彼女の近代的正論に振り回され、主人公への理解と無理解が交錯する中、激烈な衝突と清濁併せ呑む和解を繰り返し、しかし全体的には次第に意識改革が達成されていくのだ。話をややこしくするのは、冒頭の《エア》テスト時に、メイの頭の中に紛れ込んだ九十を超えた老婆の意識である。既に本体はこの世にない老婆は、メイの身体を借りて、災厄の予知と現代社会への不信を狂おしく喚き散らす。さらにはチュン・メイも老婆も、容赦や斟酌とは縁が薄い。
 本書最大の特徴は、メイがほとんど常に視点人物の位置に立つということだ。彼女の中では博愛精神と崇高な使命感、そしてエゴイズムが完全に同化している。独立不羈の精神と老婆の災害予知に対してメイが示す強烈なこだわりは、「それはそれで尊重する」などと冷静に反応するのが大人の読者であることは重々承知しつつ、それでも「妄執」というイメージが先立ってしまった。ゆえに、私はこれを読みながら「実際にメイが隣にいたら……」などと考えてしまったのである。その瞬間、「小説を十全に楽しもうとした読者」としての私は敗北したのである。
 作者自身が「マンデインSF」と主張するだけあって、本書は全編にわたり、人間ドラマが確固として息づいている。リアリスティックな小説作法によって小説としての解像度は非常に高くなっているが、それだけにより一層、主人公の「おばさん」ぶりが際立つ。新風と旧習が争う構図自体は読み応えたっぷりであり、全体としても非常に出来がいい小説である。だから後は、主人公の人物造形をどう捉えるかが好悪の分かれ目になるだけだ。
 ただし、胃での妊娠だけはファンタスティック過ぎて、作品のバランスを狂わせていると感じられた。特にラストはちょっと……。