不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

もう誘拐なんてしない/東川篤哉

もう誘拐なんてしない

もう誘拐なんてしない

 たこ焼き屋台のトラックでバイトして過ごす大学生の翔太郎は、ひょんなことからチンピラに追われる女子高生の絵理香を助ける。ところがこの絵理香、実はある暴力団組長の次女で、父親から溺愛されていた。チンピラは実は絵理香の護衛として、父親が付けて来たやくざだったのだ。衝撃を受ける翔太郎に、絵理香は更に追い討ちをかける。彼女の母親は父の部下と共に駆け落ちしていたが、その逃亡先で一女をもうけていた。絵理香にとっては妹になるこの少女は、重い病気を患っている。ついてはその手術代を捻出するため、自分を誘拐したことにして父親から身代金を奪ってくれというのだ……!
 関門海峡を股に掛け、奇抜な狂言誘拐劇が始まる。ギャグとユーモアを交えた非常に軽いノリで進み、物語のテンポとリズムは非常に良い。キャラクター面でもリーダビリティを確保する方向で調整されており、ギャグ漫画に出て来るような《典型的》《戯画的》な人物を活き活きと描き出す。致命的なまでの悪人がほとんどいないのも特徴で、どんなキャラにもそれなりに可愛げのある(または情けない)シーンが用意されているのも素晴らしい。翔太郎と絵理香の間に甘酸っぱい気配をほとんど流さないのも、これはこれで見識であろう。ただし、本書のギャグで言及される実在の固有名詞は古色蒼然たるもので、作者が68年生まれともういい歳こいたおっさんであることを強く意識させる点でいただけない。本書の主人公と考えられるのは翔太郎(20)、絵理香(17)、皐月(絵理香の姉、25)の3名だが、こういった若者の物語において、出て来る実在の固有名詞が全部古いというのは(この三名が固有名詞を口にしているわけではないものの)、本書が真にキャッチーでポップなユーモア小説になることを阻害している。もっとも、組事務所にハリセンが常備されている時点で、作者はいつものようにギャグ・センスに対する苦笑を誘っていると解釈することも可能ではある。
 ミステリとしては、大トリックこそ出て来ないものの、構成が実にうまい。何ということもない部分に伏線を埋め込む手腕は、相変わらず感服する。本格ファンは一定の満足を得ることができるだろう。