不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

官能的/鳥飼否宇

官能的――四つの狂気 (ミステリー・リーグ)

官能的――四つの狂気 (ミステリー・リーグ)

 興奮すると変態するオナニスト、増田助教授は、素晴らしきヒップラインを持つ女性をストーキングフィールドワークすることにした。どうやら彼女は周辺数キロのコンビニをぐるぐる回っているらしいのだ(「夜歩くと……」)。
 増田助教授は研究棟の真向かいにあるビルを覗いて観察していたが、偶然、昔好きだった同級生を見付ける。追い回す再会を果たすため、彼女が用事のありそうな行ってみると、そこには男の死体が(「孔雀の羽根に……」)。
 増田助教授の元に、数理学部助教授の島谷香織(36・既婚)のセックス時の写真が複数枚、メールで送られてくる。早速それで自涜する増田であったが、それはそうと、どうも写真によって香織の相手が異なるように見える。しかも全員、同じ大学の教員以上の地位にある者らしいのだ。そしてこの写真は増田のところのみならず、学内にばらまかれていた。世を儚んだ香織は、投身自殺を目的に天文ドームに登る(「囁く影が……」)。
 以上3編に、これらを纏め上げる「四つの狂気」が付された、実質的な連作短編集である。いずれの短編にも、大変態の増田をウォッチングし研究すると称する助手が登場し、「変態」によって推理力を大幅上昇させる増田助教授を絶妙にサポートする。
 上記粗筋を読んでいただければわかるように、本書は下ネタ絡みの笑劇が延々と続く。ただし増田が童貞であることもあって肉感的な側面は皆無であり、結構さっぱりした笑いが主体だ。もちろん下品であることは間違いないが、笑いの要素をよく読むと、すれ違いギャグや繰り返しギャグ、掛け合い(掛け違い)の面白さ、トンデモな理屈など、その骨子は通常のユーモア小説にもよく見られるものが多い。要するに、本書の笑いは下ネタのエロスに依拠しているわけではないのである。だから本書のユーモアは、意外と一般性を持っているはずなのだ。
 ミステリ的な面では、各編が相変わらずしっかり作り込まれ、本格ミステリとしての基本をちゃんと押さえている。作者は全く手を抜いておらず、当たり前だが、笑いで誤魔化そうなんて意識はゼロであるのは明白だ。この前提があってこそ、とある部分で炸裂するネタが読者に強いインパクトを与えることに成功し、本書はバカミスの傑作となりおおせるのである。しつこいようだが、我々読者は作者の丁寧な所作を見逃すべきではないだろう。バカミス・ファンには必読の一冊だ。
 さて各編のタイトルを見てお気づきの通り、本書は基本的にカーの諸作へのオマージュになっている。そっくりそのままではないが、本書の各事件はカーの似た題名の作品に何らかの形で相似しており、マニアとしては嬉しいところだろう。また、各編で20世紀後半のクラシック音楽がテーマ音楽に使われているのも興味深い。収録作品順に行くと、ライヒ:十八人の音楽家のための音楽、クセナキス:メタスタシス、松平頼暁ブリリアンシーである。前衛中の前衛というわけではないが、一応旧来の《クラシック音楽》の概念では捉えきれない曲たちであり、鳥飼否宇本格ミステリ界における立ち位置と重ね合わせて考えると、なかなか意味深である。