不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

蛇は嗤う/スーザン・ギルラス

蛇は嗤う (海外ミステリGem Collection)

蛇は嗤う (海外ミステリGem Collection)

 ライアン・クロフォードは、何やら家庭絡みのトラブルがあってイギリスからモロッコのタンジールにやって来た。しかし、当地で知り合った人々はほとんど、何故か怪しげな行動をとり、ライアンの心はなかなか休まらない。そうこうする内に、町のゴロツキが殴られて昏倒する事件が発生し……。
 イギリス人コミュニティが舞台となるが、主人公ライアンには終始ある種の虚無感と疎外感が付き纏い、これが抑制された異国情緒と相俟って、絶妙な隠し味となっている。そしてそれをベースに展開される肝心の事件内容も非凡なものだ。
 初期段階では、主人公も読者も完全に五里霧中、裏で何かが起きているのは確実だが、それが何かはさっぱりわからない。そして中盤で物語はある転換を迎え、事件を俯瞰しやすくなるくのだが、それでもなお核心部は謎に包まれたままだ。そして迎える終盤では、一気呵成かつスリリングに謎が明かされてゆく。これは爽快だ。なお、主人公側に生じるある事情を、サスペンスの盛り上げにほとんど活用しないなど、派手派手しい手捌きを全く見せないのにも好感が持てる。物語の進展は、あくまでスムーズにして沈着なのである。
 イギリス本格が好きな人ならば、十全に楽しむことができる佳品だ。おすすめ。
 なお、相変らず巻頭のレッド・ヘリング氏はうざい。本格および本書の読み方について講釈を垂れるのだが、これが異常なまでに浅薄。以下批判。
 まず、ジャンルの解説。「本格派系」という、二階堂黎人程度にしか通じないような独り善がりの言葉使いは問題だろう。曲がりなりにも公衆の面前で言葉を手繰っているという自覚に欠けると言わざるを得ない。まあ善意に解釈して、本格派あるいは海外黄金期のことを言いたかったとしても、そのジャンルがどういったものかは議論百出するわけで、それをこれほど平易な文章、いや頭の弱そうな文章で簡単に片付けて良いのだろうか。
 時代背景の解説もこれまた浅薄。60年代の時代風俗が取り除かれているとの指摘はいいとして、それが「黄金時代の作品」だからというのは無茶苦茶である。1ページ前で黄金期は1920年代から40年代と言ったところではないか。そしてレッド・ヘリングは、スパイ物との同異を述べるのだが、これが何を言いたかったのかよくわからん。善意に解釈すれば、60年代の小説はエキゾチックな雰囲気を求め舞台を国外に求めるようになった、ただし本格とスパイ物の違いから、本作はイギリス人コミュニティ内でのみ話が完結する、という分析がしたかった、ということになろう。しかし、だったらもうちょっと整理して書くべきだ。この解説ではわかりにくい。
 登場人物の項目も問題というか、登場人物は裕福な人ばかりって、そんなもん読めば誰でもわかるわけで……。
 主人公の項目で、レッド・へリングは、ライアン・クロフォードとシャーロック・ホームズの共通点を指摘する。しかし、その「興味深い」共通点は、何と「シリーズ探偵であること」、「シリーズを通して、プライベートに変化がある」、「パートナーや警察官の助けを得る」というものである。レッド・ヘリングはこれが大発見のつもりなのだろうか?
 小説のプロット講釈は論外。大体、本編を読む前に、なぜプロットの要点(真相に至るためのチェック・ポイント)を確認させられねばならんのだ。続く項目・作家のスタイルについても、何も言っていない等しく、意味のない解説になっている。
 また、結びの段落に象徴されるように、全体的に上から目線、それも、頭の悪い子に教え諭すような調子なのは問題である。たとえミステリ読者以外の読者に向けたものとしても、内容が安易だしスタンスも尊大に過ぎる。そもそも、ジャンルを問わず、小説を読むのが好きな人にとって、レッド・ヘリングの解説を巻頭で示されるのは、邪魔にこそなれ、参考になることなど全くない。大体、巻頭に(実質的には匿名のまま)しゃしゃり出て来て、読者の読みを規定しようなど笑止千万。正直、読者を馬鹿にしているとしか思えない。
 いずれにせよ、レッド・ヘリングはもう要らない。我々は実に3冊、この人物の寝言に付き合ってきた。もういいだろう。次巻以降は消えていただきたい。