不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

荒野のホームズ/スティーヴ・ホッケンスミス

荒野のホームズ (ハヤカワ・ポケット・ミステリ1814)

荒野のホームズ (ハヤカワ・ポケット・ミステリ1814)

 アムリングマイヤー兄弟二人は、家族を亡くし、雇われカウボーイとしてアメリカ西部を渡り歩く日々を送っていた。その放浪中に、兄貴のグスタフ(オールド・レッド)はホームズ譚に出会い、自分には優秀な探偵になる素質があるのではないかという思いを募らせる。そんなある日、兄弟は他数名のカウボーイたちと共にバー・VR牧場に雇われたが、この牧場はどこか怪しげであった。牧場支配人が変死し、更に奇妙な空気が流れ始める牧場であったが、そこに、遥か彼方のイギリスにいたはずの牧場主一行がやって来る。そしてさらなる事件が起き、兄貴は今こそ探偵の才を示す時だと、牧場主のバルモラル公爵に事件調査の許可を申し出るのだった……。
 謎・構成・トリックいずれの面でもオーソドックスで、本格ミステリとしてはまずまずの出来栄えである。ただそれより何より、本書の要は主役のカウボーイ兄弟の設定であって、これが大変に素晴らしい。兄のオールド・レッドは、頭はいいが文字が読めない。そこで本は弟オットー(渾名はビッグ・レッドで、これがけっこう博識!)が朗読してやるのだが、オールド・レッドはそこで聞かされたホームズ譚に憧れ、観察眼と推理力を磨いてカウボーイ生活に役立てようとするのだ。かなり無茶な生き方と思いきや、実はそれほどおかしなことにはならない。ホームズに関する知識を実生活でも役立てようとする人物は、小説においては戯画化され笑いをとることが多いが、『荒野のホームズ』は違う。兄弟は基本的に、自分たちをカウボーイであると思っている。そして、ホームズ・スタイルの根幹が物事の観察と冷静な思考にあることを踏まえると、カウボーイの生活においてもホームズの基本スタンスは役に立ち得るのだ。オールド・レッドは、概ねこの点についてホームズに倣っており、コスプレしたり無闇に事件を求めたりといった変なことはやらかさないのである*1
 可笑しいのはむしろシチュエーションである。アメリカ西部の荒野に広がる農場に、いきなりイギリスの貴族連中がやって来るのだ。カウボーイとイギリスの紳士淑女が同時に存在する様と来たら! このなんとも言えないミスマッチ感が、面白い読み口を生んでいる。
 さて本書『荒野のホームズ』は、兄の探偵デビューであると同時に、弟の助手(=記述者)デビューでもある。頭の良いオールド・レッドも、最初から快刀乱麻を裁つ如くうまく行くわけはなく、艱難辛苦の末に勝利を手にする趣が強い。またビッグ・レッドも、「読者よりもちょっと頭の悪い人」と揶揄されるワトスン像とはイメージが異なり、知情意いずれの点でも兄に対する好サポートを見せる。この背景には兄弟愛・家族愛が確かに流れており、二人の絆が非常に印象的である。本書は、カウボーイの世界にホームズの方法論と貴族を持ち出した、珍にして妙なる作品としておすすめしたい。いやこれ、実際結構面白いですよ。
 ところで本書の作品世界は、現実のものではない。本書で出て来るホームズ譚は、コナン・ドイルではなく、ワトスンその人が書いたということになっている。つまりこの世界では、ホームズとワトスンが実在するのである! しかも作中の時代はアソコですよアソコ。本書は既にシリーズ化している模様であり、いつかご本尊と競演したり、はたまたカメオ出演してくれたりしそうで、今から非常に楽しみである。この点ホームズ・フリークにも強くおすすめできるのではないだろうか。とはいえ、本書が売れないと続編は訳出されまい。興味のある人はまず買ってください。

*1:調査を志願する時点では、誰がどう見ても明らかに「事件」は起きている。