不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

押川春浪回想譚/横田順彌

押川春浪回想譚 (ふしぎ文学館)

押川春浪回想譚 (ふしぎ文学館)

 押川春浪(1876〜1914)が語る、奇妙な体験の数々……。
 怪奇幻想のコアに、膨大な資料に基づいたふくよかな肉付けを施し、非常に落ち着いた質感を実現させている。奇想は読者の度肝を抜くような形では提示されず、よく考えてみればとんでもなく奇怪な事象の数々も、どことなくのどかな風情すら感じさせる。登場人物の当事者意識や切迫感も、少なくとも読者に対しては生臭くは伝わって来ない。しかし、鷹揚な筆*1で、ディテールを綿密に物語に織り込んでいるので、明治〜大正の時代の空気を見事に立ち上げている。また、寄り道的なエピソードもしばしば用いられ、これらを通じて登場人物の心情や人柄がよく表現されている。
 血湧き肉踊るような、あるいは感傷によって涙溢れる類の、わかりやすい娯楽小説ではないかもしれない。しかし、地味地味な中に何とも言えない深みがあって、練度は非常に高いと思われる。作者本人があとがきで述べるように、凝った作りの短編が揃っている。押川春浪の実際の人生、そして実際の歴史とのリンクもまた、何とも言えない情感を醸し出している。
 そんなこんなで、おすすめである。
 以下、作者がいかにこの作品に力を注いだか、事実を述べる。読者の目の前にあるテキストのみが作品の全てであり、執筆経緯・条件・取材方法、ましてや作者の労苦などを気にするのは愚の骨頂、という立場の人は読まなくても良い。
 『押川春浪回想譚』所収の各編はいずれも、冒頭、新聞記事から始まる。この記事は各編の怪奇幻想要素に直接関係するのだが、何とこれらが、全て当時の本物の新聞記事なのだ。つまり、横田順彌は、小説のテーマに沿った新聞記事を探し出し、創作に落とし込んでいるということになる。
 この作業の順番は、断じて逆ではない。新聞記事からイメージを膨らませて小説のテーマを策定したのではなく、小説のテーマが決まってから記事を探しているのだ! なぜならば、所収12編中10編の初出が、異形コレクションだからである。ご存知のとおり、異形コレクションは、毎回異なるお題が監修者・井上雅彦から提示されるアンソロジーであり、このお題に基づいて作家が短編を著す。つまり、新聞記事をテーマ決定前に準備することなど、原理的に不可能なのである。そして何よりも凄まじいのは、出来上がった作品の流れが、悉く、非常にスムーズということである。こじ付け臭など皆無! もはや、新聞記事からイメージを膨らませたか、あるいはテーマに沿った架空の新聞記事を捏造したとしか思えない。まさかテーマに合う新聞記事を探したなんて……! というわけで、新聞記事がいずれも本物だと知ったとき、私は鳥肌が立った。人間業とは正直思えない。
 さらに、所収作品の登場人物には、押川春浪以外にも、実在の人物が極めて多い。彼らの実際の人生と矛盾を来たさないよう、横田順彌は彼らのバイオグラフィの間隙を縫って、あり得たかもしれないフィクションを成立させているのである。これもまた凄まじい労力である。
 また、労苦を惜しんでいないのは作者だけではない。編集者もである。『押川春浪回想譚』の作品収録順は、各編の発表順ではない。作品内の時系列順に並べ替えているのだ。冒頭の新聞記事が実在であるとはいえ、新聞記事の時系列=物語の時系列ではない。また、作品内に具体的な年月日に関して記載がないものもある。ではどうしたのか。編集協力を務めた日下三蔵とともに、たとえば作品内に出て来る本の出版が何年何月だから、この作品は少なくともそれ以降、という地道な作業によって、物語の時期を割り出しているのである*2
 これらの、作者・編集者の多大な努力の結晶として、『押川春浪回想譚』は今、一冊の本として我々の前にある。これを買わないのはやはり嘘というものであろう。

*1:もちろん実際は緻密な計算が働いている。

*2:07年SFセミナー昼の部における日下三蔵氏の発言による。