最愛/真保裕一
- 作者: 真保裕一
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2007/01/19
- メディア: 単行本
- クリック: 12回
- この商品を含むブログ (44件) を見る
純愛小説との帯が付されているが、実際にはサスペンスのような……。しかし、本書で問題とすべきは内容である。
主人公は強度のシスコンであり、彼の一人称による地の文は、姉が強い人だと連呼する。その姉は、物語の大半を、意識不明の重態患者として集中治療室に横たわって過ごす。しかも主人公は彼女に長年会っていないという設定だ。従って彼女の人物像は、主人公が姉を調査する過程で、主人公の目を通して徐々に読者の前に現れる、という形式を取らざるを得ない。かなり早い段階で、姉の人生は大概無茶であったことが判明するのだが、主人公は、姉は凄い、強い、正しい、まっすぐだと繰り返す。この姉弟は別に悪人ではないし、非難されるべき人非人というわけでもないはずだが、私は「姉は突っ走っているだけ、弟はシスコンの変態」としか思えず、シンパシーを全く感じなかった。
もちろん、作者の意図が、この物語をイヤ話として描くことにあるならば、以上の指摘事項も何ら欠点とならない。むしろメリットである。この物語の基本線は、家族や同僚とどうしても打ち解けられないシスコンの変態が、無謀な姉のいかなる言動をも無理矢理に美化し賛美してみせることにある。そしてその横で、悪意と怨念に満ちた奴、ヒヨヒヨの情けない奴などが、ときに猛り、ときに沈み、ただでさえ一面的で皮相な人生を破綻させてゆく物語だ。つまり『最愛』は、人間の宿業を皮肉に描くイヤ話なのである。
ところがこの物語からは、主人公に対する作者の醒めた意識を読み取れない。そればかりか、作者の意識は、主人公のある種特殊な価値観にシンクロしている。真保裕一が、この物語を感動すべきもの、姉弟を読者が肩入れすべき人物として設計し、価値観共有を読者に要求しているのは明らかだ。しかし、作者と主人公は、姉というヒロインは凄い奴なんだと叫ぶのみ。私は途方に暮れてしまった。
読みやすいし、読者の興味を惹く一種の牽引力にも恵まれた作品なので、非常に残念だ。