不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

崖の館/佐々木丸美

崖の館 (創元推理文庫)

崖の館 (創元推理文庫)

 財産家のおばが住む崖の館を訪れた、高校生の涼子といとこたち。二年前、おばの養子(姪を養子とした)・千波は命を落としていた。いとこの間でも強い存在感を示していた彼女の死は、実は人為的なもの=殺人ではないのか? そして今また、絵の消失、密室間の人間移動など、悪意に裏打ちされたように思われる奇妙な出来事が起き始め……。
 先般『赤朽葉家の伝説』を評したとき、女性における性と、男性の存在感の対比について、「佐々木丸美と逆」と書いた。『崖の館』もこの認識にもとづき読解可能だ。ここで主人公その他は、激しい恋愛感情を抱き、異性の存在を強く意識する。しかし、性欲・肉欲はオミットされており、若竹七海が解説で指摘する「少女趣味」が強く臭う。
 さて、『崖の館』でもっとも印象的なのは、「少女趣味」もさることながら、登場人物の会話と主人公の独白である。芸術、美、人生とその悪意・善意、愛情に関する、膨大にして象徴的・高踏的・衒学的な言及の数々。しかもこれらは、煌びやかでは全くなく、翳りが極めて濃い生々しい感情に起因している。底どころか表面に、ドロドロした情念の渦巻きが見て取れよう。そして、物語は凄まじく真剣で、深刻なものとなる。「少女趣味」的な無垢の純粋さがあるにもかかわらず(いや、だからこそ?)異常に偏執的だ。犯人は当然だが、全ての登場人物の心象風景が、どこか歪んでいる気がしてならぬ。
 というわけで、この作品は、一応館モノ、集まるのは若いいとこたち(昔から一緒に遊んできた人々)、館に住むのはお金持ちの優しいおばさんという、軽そうな外見(しかもページ数は300ページに満たない!)からは想像もできないほど、強烈・苛烈である。しかし、この激しさを読者はどう捉えれば良いのだろうか? 私は、パラノイアに耳元で説教されているような特殊な感覚を終始感じていたことを、告白しておきたい。そう、この小説は、異常な説教臭さに満ちている。それも、どこからどこまでが作者自身の考えなのか判然としない、人生に関する、熱に浮かされたように口走られる、狂った説教。狂っているのはキャラか、作者か。結論は読者各自で出すとして、いずれにせよ、『崖の館』は、「わーい館モノだあ」などと軽いノリで近付いた読者を跳ね飛ばし、己の道を驀進する小説である。ミステリ要素は単なるツマと思し召せ。