不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

夢館/佐々木丸美

夢館 (創元推理文庫)

夢館 (創元推理文庫)

 吹原邸に迷い込んだ孤児の千波(当時4歳)は、何故か屋敷の若主人・恭介(当時27歳)に助けられ、吹原家に引き取られる。恭介以外に係累がおらず、多数の使用人が切り盛りする吹原家。そして、当主の恭介すらもが、千波を引き取っていくらも経たないうちに、欧州への長旅に出てしまう。だが主の不在においても、使用人たちは誰も彼もが(乳母ですら!)恭介に何らかの思慕を寄せ、吹原家は愛憎の魔窟となる。恭介を《先生》と呼び表す千波もまた、幼き日より、恭介に想い焦がれずにはいられなかった。……やがて、千波が15歳の美しい娘に育った頃、恭介が帰国する……!

 女の恋に目覚める前のからの中。まゆは秘めやかに動く。たとえ別離があろうとも二つの心は正確に吸いよせられていく。この浮世、このむべなる恋の花束、誰が何を言おうと揺るぎはしない、あの人は私のものだ。不思議なえにしの力点に時の鎖が巻きついている、そのむこうから幽遠なる風の冷たさ。風は迷い子を運び、夜毎の夢を運び、やがて仮初かりそめの別離を運ぶ。うろたえるな、えにしの糸を彼にしっかりと結べ。記憶の風車をしっかり持ち直せ。彼にかざし運命にかざし時の流れにかざせ。

 人間はたくさんいるわけで、一部の層は4歳児にこんなイメージを持っているようである。だから、上記引用部のような情念を一人称で抱く4歳児が主役を張る小説(それも4歳児なのは最初の数十ページのみ)を書く人がいても、それほどおかしくはないのだろう。それに、上記引用部分は後日、成長した千波が思い返しているとも解釈できる。また、最後まで読めば、たとえ4歳児の千波がリアルタイムで時と運命とえにしに敏感であったとしても、それなりに納得できる結末は用意されている。ゆえに、上記引用部分のような箇所が、冒頭から遠慮会釈なく連発されても、それだけをもってドン引きするのはフェアではない。
 だがしかし、やはり私は、ほとんど生理的に、ポエジーとオカルトとパラノが、熱いパッションによって渾然一体ドロドログチャグチャになり迫って来る小説には、拒否反応とまでは言わないが、それに似た何かを感じざるを得ない。ここで良くも悪くも決定的なのは、この小説の質感=登場人物の本音であり、そして恐らくは佐々木丸美自身の本音とも等しいのであろう点である。
 私は、この三部作と称されるものを、『崖の館』『水に描かれた館』と読み継いできた。そして、『夢館』を読み終えた私が感じること。それは、何だか良くわからないが、作者自身に凄い勢いで勝利宣言をまくし立てられ、そして意気揚々と去られたような、呆然とした思いに他ならない。期待した小説のジャンルが、本格だろうが幻想だろうがオカルトだろうが関係ない。佐々木丸美と私の間に横たわる、どうしようもない位相の断裂は、読者が(勝手に)作品に期待するジャンル、などというチャチなものに起因していない。恐らくそれは、より恐ろしく、より根源的なものだ。
 とにかく、非常に強烈な読書体験であったことは間違いない。こう言うと語弊があるかも知れない。しかし敢えて言おう。『崖の館』『水に描かれた館』『夢館』の三部作は、奇怪な読書体験を切望する者には、まさに必読の書である。佐々木丸美が誠心誠意、本気の仕事を成し遂げたのは間違いない。試しにお一つ、おすすめしておきたい。