不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

飛行する少年/ディディエ・マルタン

 ラファエルは物心つく前から飛べた。
 他人に見付かることを恐れ、最初のうちは自分の部屋に鍵をかけて飛ぶ程度だったが、お漏らしをする成績の良い学友フランソワが校庭で飛んでいるのを見て、彼は、飛行している人間は飛べない人間には見えないことに気付く……。
 人間が飛行するという設定は、いうまでもないが極めてシュールである。これを取っ掛かりとして、物語にセンスオブワンダーを詰め込むことも不可能ではない。それどころか容易ですらあるだろう。事実、マルタンの筆も飛行にいくばくかの幻想性を込める。しかしながら、その幻想性自体には、物語の焦点が合わせられていない。作品全体の雰囲気は、主人公の(飛行人間であるという事実から生じる)疎外感や孤独感によって決定付けられている。また、メタ視点から読めば、飛行が性的な何か(フィジカルかメンタルかは不分明だが)のシンボルであることはほぼ間違いなく、飛行による開放感には同時に淫靡な空気がつきまとう。主人公の語り口も、どことなく倦怠が感じられ、友情や愛情、そして主人公の悩みがひんやりと綴られる。主人公はしばしば翔び、そして少年期は流れ去ってゆくのである。細部に至るまで奇妙な情感が漂い、非常に面白く読んだ。もう少し訳がこなれてくれてもが良かったが、叙事的部分と主人公のモノローグでかなりの差があるので、原文の問題かも知れず、訳者を問責できないだろう。これはこれで味だという気もする。というわけで、なかなかの佳品だった。
 なお、粗筋紹介はちょっと紹介し過ぎ。ネタバレ云々が問題となる小説ではないものの、ストーリーの3/4にまで触れることに全く問題なしとはしないのである。