不壊の槍は折られましたが、何か?

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ページをめくれば/ゼナ・ヘンダースン

ページをめくれば (奇想コレクション)

ページをめくれば (奇想コレクション)

 ゼナ・ヘンダースンは、子供の登場人物の使い方が素晴らしくうまい。『ページをめくれば』も同様であり、古今の作家たちが取り組んできた《子供》という概念の全てが、この一冊で表現されていると言っても過言ではなかろう。圧巻とはまさにこのこと。基本的に私は邪悪な作家が好みであり、純粋さや温かさを売りにする作家には、敬意を払いこそすれ個人的に礼賛することはない。しかしほとんど唯一、ゼナ・ヘンダースンだけは、性善説側にその身を置く作家であるにもかかわらず、私が崇拝してやまない作家なのである。気色悪い物言いをすれば、彼女の作品の前でだけは、性善説に無心に身を委ねることができるのだ。
 以下、各編の内容とミニコメを。
 「忘れられないこと」のみ、《ピープル・シリーズ》の一作。正直、集中これが一番落ちる。クロギノールドキタコレ、と思える既成ファンには嬉しい贈物だが、作品単体だと『果てしなき旅路』『血は異ならず』とは勝負にならない。とはいえ、実際的な人間の女性教師が、勤務先の学校に転入してきた《同胞》の子供に振り回される様は、単純に楽める。唐突ながらにやけるラストもなかなか。
 「光るもの」は、老夫婦が住むお隣さん(それなりに裕福)の手伝いに行く、貧乏な少女の物語。朝食に目玉焼きが出るというだけで感動しているのがいとをかし。こういう辺り、子供を描くのが本当にうまいなあと思うところだ。で、その家の老婆は何かを探しているのだったが……といった辺りから、小ぶりだが素敵なSFになってゆく。
 「いちばん近い学校」は、題名どおり、一番近い学校だからと新入生がやって来る話。ただし異星人の。やって来た親子を見て、教師や世話役が頭を抱え、挙句の果てにヤケクソ気味で転入を許す段も面白いが、ラスト4ページでしか触れられない、異星人と地球人の子供たちの交流が素晴らしい後味を残す。
 「しーッ!」は、しょぼい道具立てによるホラー。にもかかわらず、怖い。恐らく子供の発想に基づくからだろう。子供の頃は、こういう阿呆なものが怖かったりしませんでしたかそうですか。個人的には傑作だと思うのだが。
 「先生、知ってる?」は、ある家庭の悲惨な現状が、そこの幼い子供により、子供特有の無邪気さで先生に打ち明けられてゆく物語。サスペンス。うまい……。
 「小委員会」は、星間戦争の休戦協定の地において、一組の地球人母子(父は軍人で、休戦協定に参加して留守がち)が、ひょんなことから、フェンスの向こうの敵宇宙人の母子と交流を始める物語。予定調和だが、いい話です。こういう話を良いと思える素直さは、終生持っていたいと思うのであった。
 「信じる子」は、何を言われても信じてしまうので苛められるようになった女の子の話。ありがちな話なのだが、やはり子供の描写がべらぼうにうまいので、珠玉の逸品となっている。
 「おいで、ワゴン!」は、叔父によって語られる、不思議な能力(というかテレキネシス?)を持つ甥にまつわる不思議な物語。たぶん寓話。色々考えさせられます。
 「グランダー」は珍しく子供が出て来ない作品で、異常に嫉妬深い夫が、酒場のちょっとおかしな爺さんに、嫉妬深さを直してくれるという伝説の魚《グランダー》の話を聞いて……という物語。意地悪な作家ならば、もう一段ネタを構えただろうが、性善説作家たるヘンダースンはここにとどまる。しかしそれが全くマイナス要因にならず、こうでなくてはと思わせる辺りがこの作家の偉大さだ。
 「ページをめくれば」は、子供の頃は良い意味で純粋だったなあ……という話で泣けてくる。
 「鏡にて見るごとく──おぼろげに」は、ある老夫婦が、見知らぬ女性の人生を逆向きに辿る。含蓄に満ちた物語といえ、本巻を見事に締めくくる。
 以上11編、ヘンダースンの魅力を堪能できることは間違いない。一人でも読者が増えんことを草葉の陰から祈るのみである。