海泡/樋口有介
- 作者: 樋口有介
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2004/02
- メディア: 文庫
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主人公が東京で大学生をやっている間に、同級生たちの境遇は変化した。漁師となった山尾、旅館を支える洵子は元気だが、美しかった翔子は死の床にあり、島一番の優等生だった藤井は挫折を経て精神を病んでいる。そして和希は先述のように東京でストーキングされ島に逃げ戻っている。既に自分たちの人生が分かれ始めているという冷酷な事実、そこに漂う寂寥感や諦念は、樋口有介が20歳前後の人物を扱う場合の常とはいえ、実に鮮やかだ。
さて『海泡』で注目したいのは、「死の影」の扱いである。事件によって命を落とす同級生は和希だが、本書において最も色濃い「死の影」は、和希のものではなく、病によって余命幾許もない翔子のそれなのだ。事件の前、つまり和希が死ぬ前から、物語は翔子が纏う死の予感に覆われており、事件発生後も状況にラディカルな変化はない。実際の登場シーンはほとんどなかった和希の死よりも、病床から主人公の調査を助けて積極的に発現する翔子の「死の影」の方が、よりリアルな質感をもって読者に、そして主人公たちにも迫るのである。
そしてこれらの全てを、小笠原の夏が包む。舞台のローカル色が馥郁たる余情を生み、ゆったりした体感時間と筆致をもって、20歳となり曲がりなりにも「過去」を持ち始めた若者たちのドラマが描出されていく。この雰囲気もまた素晴らしいものだ。ミステリ的な趣向は弱いが、『海泡』もまた要チェックの佳品なのである。