不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

白い花の舞い散る時間/友桐夏

白い花の舞い散る時間 (コバルト文庫)

白い花の舞い散る時間 (コバルト文庫)

 コバルトロマン大賞受賞作。大手予備校のチャットで知り合った女子高生たち(オフでは顔も知らない)が、夏休みの数日を一緒に過ごそうと無人の洋館に集まる。誰が誰やらわからなくするため、彼女たちは本名でもHNでもない適当な名前で呼び合うが、ネットでは五人だったのにここには四人しかいない。誰が来ていないのか?
 最初のうちはリリカル・ミステリーという煽りに相応しく、少女たちの交歓が比較的濃やかに描かれる。しかし話が進むにつれ、徐々に暗雲が立ち込め、遂に物語は予想だにしない方向に転換する。この方向転換は少々ご無体であり、転換後も話は展開してゆく。しかし、少女視点だからか、たとえば大人向け小説であれば三人称で提示されるであろう《背景》が、どうにも遠景に押しやられ、か細く響くのみであり、作者の用意した世界に浸れない憾みがある。
 詳述すると、たとえば、同じく中盤以降妙な展開を見せる作品(アンブローズ『迷宮の殺人者』とか)は、変は変なりにしっかり情報量を織り込むことで、「まあこういう世界なんだろう」という説得力を何とか保持した。また、最後の最後でいきなり「別人が書いたのではないか?」という違う話になる場合、読者を驚愕させた後即座にサッと話を切り上げて、読者の冷静を取り戻す時間を与えないことが多い。
 しかし『白い花の舞い散る時間』は、変な話になった後、話は続くうえに、少女視点の少女たちによる少女たちのための物語、という性格を維持してしまう。その結果、作品世界における《背景》の位置づけがどうにも曖昧なままであり(結局少女はガキであり、ガキは自分と自分たちは語れようが、世界/社会の語り部には向かないのでは?)、それが説得力の弱さとなって表れているのではないか。少なくとも私はそう思う。
 ……我ながら胡散臭い理屈ですが、いずれにせよ地雷です。気をつけましょう。