不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

サマー/タイム/トラベラー/新城カズマ

サマー/タイム/トラベラー (1) (ハヤカワ文庫JA)

サマー/タイム/トラベラー (1) (ハヤカワ文庫JA)

サマー/タイム/トラベラー (2) (ハヤカワ文庫JA)

サマー/タイム/トラベラー (2) (ハヤカワ文庫JA)

 《あの時の僕(たち)はあんなことになるなんて思いもしていなかったのだ》という趣旨のフレーズが終盤以外のほとんど全編を覆い尽くす青春SF。これではHIBK派*1と何ら変わらないわけで(使用頻度で言えばHIBK派を超えてます)、ネタが一応の収束を見せたといっても、小説作法としては下策と言わざるを得まい。……まあ、新城カズマはミステリ読みではないのかも知れず、その場合はHIBK派なんて知ったことではなかろうが、にしてもちょっとなあ。個人的には、地の文で人名に《ちゃん》付けするのと同レベルの、ほとんど本能的な不快感を覚えるのであった。
 しかしこの軽微とは言いがたい欠点を除くと、なかなか面白い小説であると思う。
 新城カズマが『サマー/タイム/トラベラー』を書いた、その結果のみを語ろう。青春小説としては、時間跳躍ネタを、高校生が感じる先行き不安感と見事にオーバーラップさせており印象深い。悠有以外の誰も彼もが小難しい単語でまくし立てるのも、青春期の夜郎自大ぶりが表れており楽しい。時間跳躍者を前にして矮小な自意識が漏れ出すのも、イタいハイティーンの適切な描写と解すべきであろう。つまり『サマー/タイム/トラベラー』は登場する少年少女の未熟さを愛でるべき作品であり、世界や日本の命運が彼らの行動にかかっているわけでもなく、作品世界はあくまで彼らの物語(せいぜいが仲間内)にとどまるのである。そこから立ち上る青臭さ、ガキっぽさの、なんという鮮度! 青臭さとガキっぽさが腐乱している私には、たまりませんでした。
 ただし、悠有を除き、このラストから考えると、作者は登場人物を天才高校生として真面目に描こうとしたようにも思われる。しかし受ける実際の印象は上述のとおりであり、作者は目的を達成できていない。天才を描くのは本当に難しいのだと痛感した。このラストは『タイム・リープ』のあとがきのようなものと好意的に解釈し、それ以外の部分と切り離して考えることにしよう。読者としては、その方が高く評価できるので。
 SFとしては、現象の解説が基本的に仮説ベースに終始する。結論は出ない。しかし仮説の内容がなかなかハードで面白く、失礼ながら意外であった。2巻の半ばで涼によって語られる論理こそが、本作をSFとして確立させているといえよう。もっとも『サマー/タイム/トラベラー』最大の特徴は青春小説性にある。過去のソフト路線SFに大量に言及しオマージュ色を強く打ち出すのも、真のハードSFを目指すわけではないという作者のサインではないだろうか。……穿ち過ぎですねごめんなさい。
 というわけで、個人的にはなかなか楽しめた作品であった。夏休み、田舎でまったり読むには好適。

*1:Had I but knownの略。もし知ってさえいたら派。M.R.ラインハートとか。