不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

スロー・バード/イアン・ワトスン

 イアン・ワトスンに関しては、このブログに感想をアップした本しか読んでいない。その範囲で語ると、この作家は基本的にアイデア重視の作家だが、情感等も一応盛り込もうと頑張る。しかし思わずアイデアを観念的に弄んでしまい、しかもそれだけで気が済んでしまう傾向が顕著だ。
 しかしそれは弄ぶ暇があり余る長編においてであって、遊ぶ余裕が長編ほどない短編においては、(それでも明々白々たる起承転結には興味薄なままであるものの)ネタとストーリーを噛み合わせて、魅力的に《物語る》ことに成功している……と、『スロー・バード』を読んで思った。実際本短編集はかなりの粒よりであって、SFの奇想を楽しめるばかりか、小説それ自体が含蓄深さ(!!)さえ湛えている。ハッキリ言えば長編時のワトスンからはあり得ない水準で作品バランスが確保され、比較的普通に楽しめてしまう。そしてアイデア自体の質は(長編を読んだ方には自明だろうが)非常に高いのである。素直に素晴らしいと思う。
 個人的には、破綻した夫婦生活を送っていた夫が(作品が書かれた当時にとっては)近未来の銀座に繰り出す「銀座の恋の物語」、体内から飛び出してしまった魂を金魚鉢で飼う「我が魂は金魚鉢の中を泳ぎ」、絶壁しかない世界で暮らす人々とそこでの天変地異を描く「絶壁で暮らす人々」、題名そのまんまの大会を描く「大西洋横断大遠泳」、未来から来た変な男が徐々に若返る様を描く「超低速時間移行機」、2090年から2063年に戻ってしまった男の顛末を描く「知識のミルク」、アリゾナに再現されたアレクサンドロス在世時のバビロンを訪問する「バビロンの記憶」、本当に《冷戦》を描く「寒冷の女王」、ある日突然世界が広がってしまう騒動を描く「世界の広さ」、脳内で変なCMが流れる人間が集まって理由を探ると……という「ぽんと開けよう、カロピー」、老人の昔語りだが様子がおかしい「アイダホがダイヴしたとき」、世界SF大会なのだがこれまた様子がおかしい(参加者のSF最高!という感興がたまらなく愛しい)「二○八○年世界SF大会レポート」、異星人の攻撃により希望がなくなってしまった陰鬱な地球で、ある少女が両親から妄想上の地球をプレゼントされるがこれまた様子がおかしくなる「ジョーンの世界」、ノロノロ進むが突然爆発し周辺数キロを跡形もなく消してしまう《スロー・バード》がノロノロ飛び交う世界を舞台に最終的には宗教的視野を提示する表題作辺りがお気に入り。……って全部ですね。
 いずれにせよ傑作短編集だと思う。奇想系SFのファンは、見付けたらゲットしておきましょう。