不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

カンタベリー物語 トパス卿の話/チョーサー

トパス卿は、巡礼団の一員ではない。話の当事者である。つまりトパス卿は、語り手ではなく登場人物に過ぎない。では「トパス卿の話」の語り手は誰かというと、巡礼団の中にいるチョーサーなのである。チョーサーはこの「トパス卿の話」と次回の「メリベウスの物語」で語り手を務める。ならば「チョーサーの話」で良いはずだが、作者自身の現身ということで、題名の時点から特別感があるわけである。

トパス卿の話の序

チョーサーへの宿の主人の愉快な言葉に注意せよ。

前回の尼僧院長の話、誰も彼もが厳粛になった。あの尼僧院長を邪悪と捉えない辺り、巡礼団の人々は皆同じ穴の貉だ。これが中世なのである。恐ろしい。しかしまあそれはとにかく、宿の主人が最初に立ち直り、チョーサーを見て、冗談を連発する。お前は何者だとか、兎でも見つけようとしている顔だとか、ご婦人衆が腕に抱くのにちょうどいい人形だとか、ぼんやりした顔だとか。そして、チョーサーが誰とも言葉を交わそうとしていないと言って、愉快な話をしてくれと頼む。チョーサーは、学んだ韻文の話以外は知らないと返し、宿の主人はそれで結構と話を促す。

ここにチョーサーのトパスについての話始まる。

第一節

チョーサーは、序で示した通り、韻文で話を進める。

まず彼は、美しく品位高い騎士トパス卿の、戦闘と馬上槍試合の話をすると切り出す。トパスはフランドルのポペリングで生まれた。長じて勇猛果敢、見目も麗しい若者になった彼は、夢の中で見た妖精の女王に恋をしてしまう。彼は馬に乗り、長く走り、荒涼たる地に妖精の住む国を見つける。そこにオリファウント卿という巨人が現れて、妖精の女王がここにいる、出て行かないと鎚矛でお前を殺すぞとトパスを脅す。*1トパスは明日勝負すると告げて、鎧を付けるために退却する。巨人は投石機で攻撃してくるがトパスはこれをかわす。

さてトパスは町に戻り、語り部に物語をさせながら、武具を装着する。この際のチョーサーのトパス卿の描写はまことに華麗である。

第二節

トパス卿が勇壮に進む様を、チョーサーは華麗に韻文で表現する。

自身は泉の水を飲みほしました。これはかの騎士ペルシヴァル卿が昔やったこと。甲冑をつけては並ぶ者なきかの騎士が。するとある日のこと……

トパス卿の物語は、ここでストップがかかる。なぜかって? 宿の主人が止めたからだよ! 

ここで宿の主人はチョーサーにトパスの話を止めるように言いました。

「もうたくさん、たくさん、神様の威厳にかけてな」とわが宿の主人は言いました。「お前さんの無知ときたら、わたしを嫌というほど飽き飽きさせるぞ。わが魂を祝福下さる神様にかけて、ほんとのところ、わしの耳はお前さんのつまらなん話で痛んできたわい。こんなへぼ詩なんか悪魔にでもくれてやらあ! こんなのは腰折れの歌というものさ」

ボロクソである。もう詩(韻文)はいいから、散文で何か話してくれとチョーサーに言う。再挑戦の機会を与えるわけである。優しいのか何なのか。チョーサーは、一番いい詩のつもりだったのにと不満を漏らすが、散文で別の話をすることは了承する。そして、徳に至る教訓的な話をすると宣言する。ただ、福音書の作者*2が受難を語る内容が少しずつ異なるように、物語は語り手によって細部は変わるのだから、聞き手は自分が知っている物語とチョーサーの物語で言葉が異なっていても咎めないようにと予防線を張る。もちろん彼の言っていることは正しいのだが、なぜここまで言い訳がましいのだろうか。チョーサーの韜晦か? それとも……。

トパス卿の話は、まだまだ冒頭であったけれども、そんなに酷い話ではなかった。これはメタ的にはチョーサーの韜晦なのだろうか……と訝しく思い、少しだけ調べてみたところ、トパスはトパーズのことであり、物語は典型的な騎士物語のパロディであるという。恐らく同時代人にとってこれは聞けば聞くほど悪ふざけだと確信できる類のものだったのではないか。「尼僧院長の話」とはまた別の意味で、時代を越えられなかった何かがここにある。

総評等

パロディならパロディで良いから、最後まで語ってほしかったエピソードだ。トパス卿の恋の行方、巨人と騎士との戦い、どちらも気になってならない。

とはいえ、宿の主人の容赦ないカットには笑う。

*1:巨人は、神かけてと言う代わりに、「テルマガウント神にかけて」と言う。この神は、当時サラセンが信じていると中世人が思っていた神らしい。そう考えると妖精の国がどういう扱いなのか推定できそうで、興味深い。

*2:マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネのことである。クラシック音楽ファンなら親しみがあるはずの人々です。