不壊の槍は折られましたが、何か?

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ヘルベルト・ブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデン シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》

Complete Symphonies

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 1981年3月23日〜27日、ドレスデンのルカ教会でのセッション録音。交響曲全集の1枚である。この全集は、同じオーケストラを使ったコリン・デイヴィスの全集に比べて、より引き締まった音楽になっているのが特色である。指揮者の個性の違いが出ているようで興味深い。そしてそのように引き締めた分、ドレスデン特有のふくよかな音色は弱まって、代わりに、古典的造形美が前面に出ている。とはいえこれは、コリン・デイヴィスと比較した場合の話であって、かの録音を聴いていない人は、このオーケストラの美音に酔い痴れることになると思料する。あと真面目。くそまじめ。特殊なことはせず、楽曲に正面から取り組んでいるようで好感が持てる――はずなんですけど、あんまり笑顔を見せてくれない演奏と言えましょうか、喜怒哀楽が薄い気がしてならない。渋いという表現も何か違う気がします。
 で《グレイト》でも、状況は変わらない。全体的に少しだけ遅めのテンポを取った上で、ブロムシュテットは音楽をしっかり構築していく。ドレスデンの美音にいささかも溺れていなのが特徴だ。ふくよかに陶然と鳴らすことなんか朝飯前であるはずなのに、ブロムシュテットは敢えてその方向に走らず、楽曲の様々なフラグメント(楽想、伴奏、内声、ハーモニー)を細かい所までしっかり丁寧に演奏させている。反面、音楽の流れには、本当にほんの少しだけ、淀みというか停滞が感じられる。弾けるような活気も薄く、最初から最後まで沈着な音楽になっているのが興味深い。90年代以降のブロムシュテットなら、横の流れや活力も十分確保したと思うのだが、さすがに三十数年前はこの名指揮者も若かったということだろうか。あるいは、東ドイツという国家の重苦しい雰囲気が演奏に表れているのだろうか? 「音楽する喜び」が希薄なのも気になるところではある。単に録音のせいかも知れませんがね。
 ブロムシュテットの《グレイト》では、サンフランシスコ交響楽団とのデッカ録音も聴いてみたいんですが、現時点では、あの中途半端なセット《サンフランシスコ・イヤーズ》でしか売られていないんだよなあ。ユニバーサル系の何とかイヤーズ系の半端さは異常である。絶対価格は上げてもいいから、ああいうの止めて欲しいんですがねえ。