不壊の槍は折られましたが、何か?

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ルドルフ・ケンペ/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》

 1968年5月22日〜27日、ミュンヘンのブルガーブラウでのセッション録音。
 前々から大好きな演奏である。オーケストラの音色は、悪く言えば鄙びていて、特に管などは硬い。しかし良く言えば素朴であり、生のままである。私の見方はもちろん後者である。豆腐にたとえると、胡麻豆腐や玉子豆腐、そして絹豆腐ではなく、木綿豆腐といった感じだ。こういった感覚は、この録音から十数年後のチェリビダッケとのライブ録音になると消えるんですが、この間に、具体的には何が起きたんでしょうかね。そのミュンヘン・フィルが、ルドルフ・ケンペのもとで心を一つにして、《グレイト》を聴く醍醐味をたっぷりと味わわせてくれるのである。ケンペという指揮者は達人の域に入った人で、特殊なことは一切していない、と思わせるような演奏をするのが上手い。実際この《グレイト》も、美感や迫力に依って立たず、より根源的な「音楽する喜び」それ自体をベースにした演奏を展開している。ミュンヘン・フィルの当時の特性から言って、迫力や美感で押し切ろうとしてもできなかったのかも知れない。だがそれらがなくても音楽は魅力的になり得るということを、この演奏は教えてくれる。どの一瞬を切り取っても、オーケストラは素朴な音色でもって音楽を浮き浮き/活き活きと奏でており、リズムの弾みと切れ味が、そのまま聴き手の心の弾みに直結して来る。第一楽章主部、スケルツォ主部、そしてあのフィナーレの推進力は、まこともって筆舌に尽くしがたい。だが快活なだけではなく、ふとした拍子に見せる寂しげ/哀しげ/侘しげな表情の表現も極上であり、たとえば第二楽章全般に漂う雰囲気は絶品としか言いようがない。興味深いのは、聴感上は素朴な演奏に聞こえるのだけれど、冷静に聴いているとテンポの変化が頻繁に付与されている点だ。そのテンポ変化は高揚と弛緩と完全に同期していて、ボーっと聴いていると気付かないぐらい自然に行われている。ケンペの楽譜の読み込みは一体どうなっているのだろうか。
 実演に接することができていたなら、第一楽章主部からして泣きながら聴いていた自信がある。泣くようなタイプの曲じゃないのにね。とにもかくにも素晴らしい演奏である。この楽曲を聴いた時に私が心描く《得たい感興》の全てがここにある。好きか嫌いで言えば、私は恐らくこの録音が一番好きなのだろう。
 カップリングはR・シュトラウスメタモルフォーゼン。ケンペのシュトラウスというと、シュターツカペレ・ドレスデンと組んだ一連の録音が有名だが、鷹揚に構えてオケの美音をフューチャーするドレスデン録音とはやや異なって、ミュンヘン・フィルとのこちらの録音は、より鋭く楽想に踏み込んでいく。そして感傷性も強く、より生々しい。ミュンヘンのある種の低性能ぶりを《グレイト》同様魅力に転化している点も見逃せない。これも素晴らしい演奏だ。