不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

愛の渇き/アンナ・カヴァン

 自分の美しい身体に尋常ではない自信を持ち、常に女王然として振舞うリジャイナは、10代で伯爵と結婚し一児を設ける。だがリジャイナは性交と出産を、身体を汚す行為として嫌悪していた。そこで彼女は、出産に立ち会った青年医師に命じて生まれ立ての赤ん坊を、精神を病んで一応退院したものの身寄りのない女に押し付け遠ざける。そして自分と交わった上に子供まで生ませた元凶・伯爵を自殺に追い込むのだった。……十数年後、また別の男と結婚していた(今度はセックスレス)リジャイナは、その娘ガーダを夫の勧めに従って嫌々引き取り、ここに愛の欠如した母娘の生活が始まるのだった。
 リジャイナとガーダの二代記。SF的なこともファンタジー的なことも全く起こらない小説だが、出て来る人物出て来る人物が悉く、しかもイヤというくらい病んでいる。それも《イッちゃってる》と表現し得るような、明るい病み方ではない。陰々滅々、読んでいて頭を掻き毟りたくなるほどに、酷い或いはもどかしい奴ばかりである。
 作者の筆も全く呵責がない。作者の興味は《物語で何が起きたか》ではなく、《登場人物がどう感じているか》にしか向かっておらず、人間関係の核心と各登場人物の内面が、とんでもない密度と手間で描かれる。通常のイヤ小説であれば、内面ではなく主に《出来事》が描かれるシーンがあるもので、読者はそこで気を紛らわせ、心理的な休憩をとることができる。しかし『愛の渇き』にそんな余裕はない。カヴァンの手の込んだ、華麗とすら言える表現技法でもって、病みに病んだ人々の心理描写が延々と続くのだ。読者が晒される、この荒涼たる心象風景の数々は本当に素晴らしい。
 そして、だからこそ、愛を求めて求めて、でも結局は全く得られなかったガーダの生涯が、胸が締め付けられるような思いを読者に運ぶのである。リジャイナと彼女の男たちもまた、深く考えさせるに足る何かを伝えて止まない。尋常でない高みに達したメンヘル小説として、絶賛するものである。