不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

名無しのヒル/S・スミス

名無しのヒル (ハヤカワ・ミステリ文庫)

名無しのヒル (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 完全な濡れ衣で投獄された、アイルランド人の若者。彼が監獄で七転八倒する三年間を描く物語だ。そしてもちろん、その主題は《北アイルランド問題》なのである。

 解説でも示されるが、シェイマス・スミスは本作でモラルを全開にする。アイルランド問題とは何か、それを市井レベルで懸命に語ろうとする気概には凄まじいものがある。彼はプロテスタントカトリックどちらにも肩入れしない。前者による後者の迫害はリアルに描かれるが、そこに単純な善悪二元論を採用しないのが素晴らしい。しかし自身投獄される経験を持ちながら、このような認識に到達した主人公の、そして作者の苦悩はいかばかりかと思う。北アイルランドの置かれた状況の深刻さ・根深さを(一端でしかあるまいが)見たような気がする。
 とはいえ、小説としての完成度は『Mr.クイン』『わが名はレッド』に劣る。熱いがどこか醒めた語り口は、うまく機能している。ここが読みどころだ。しかし前二作の特徴だった緻密なプロットは、鳴りを潜めている。そればかりか、どうにも荒削りだ。実話ベースなので仕方ない面もあるにせよ、社会派化するならするで、他にもやりようがあったんじゃないかと思われてならない。
 誤解を招きかねないので付言すると、決して悪い小説ではない。これはこれで良作だ。しかしシェイマス・スミスに対する期待値が高いため、このような感想を抱いた次第、ご寛恕を請う。

 ところで、『名無しのヒル』も日本先行発売だそうだ。ということは、日本において特に評価されていることになりはしまいか。ひょっとするとこの作家、原文<訳文というタイプなのかもしれない。ま、語学力ゼロの私にとっては、どうでもいい話ではある。