不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

ピアノ・ソナタ/S・J・ローザン

ピアノ・ソナタ (創元推理文庫)

ピアノ・ソナタ (創元推理文庫)

 リディア&ビル・シリーズ第2弾。今回の語り手はビルである。
 ビルが昔世話になった警備会社経営者ボビーの甥マイクが殺されたと知らせが入る。マイクはボビーの会社に勤務しており、殺された場所は警備担当先であるブロンクスの老人ホーム《ヘルピング・ハンズ》であった。不審の多い彼の死を探るため、ビルは警備員に身をやつし、《ヘルピング・ハンズ》に潜入するが、早速、地元の不良グループ《コブラ》とトラブルになる……。
 ピアノを嗜むビルの奏でるシューベルトのピアノ・ソナタ第21番変ロ長調D.960を通奏低音に、ボビー、マイクの遺族、《コブラ》から足を洗った前科者マーチン・カーター、《コブラ》リーダーのスネーク、《コブラ》を執拗に追う刑事リンフォース、老人ホームに入った元ピアノ教師のアイダ、老人ホーム経営層たちが、ビルの周囲でどこか悲しい心の旋律を奏でる。そしてもちろんリディア・チンとの、ユーモラスだがビル視点では満たされない会見の数々も印象的だ。音楽や都会の中の自然を、美しく描いているのも特筆すべきだろう。そして、過酷にして醜悪な現実を十二分に描きつつ、作者はそれでもなお人間に温かい視線を投げかけることを忘れない。事件が混迷を深める、という展開もなかなか心憎く、プロットの運びも達者なものだ。あと、ビル視点になると、リディア視点とは異なり、華やいだ雰囲気が抑えられ、ぐっとシックになる。これはこれでまた素晴らしい。シェイマス賞受賞も納得の、傑作である。
 なお、リチャード・グードのCDはこれです。解説者が聴いたというアルフレッド・ブレンデルの録音は、第1楽章のリピートをやっておらず、リピートしないと聴けないフレーズを弾いていない。演奏そのものは素晴らしいのだが……。また、私はグードのシューベルトを聴いたことがないので、ひょっとするとグードもリピート省略しているのかも知れないことをお断りしておきたい。
 この問題に関するブレンデル支持者の見解は、こちらのとおり。誰あろうシューベルトに「本当に重要な9小節か?」と言う辺り、実に非論理的だが、ピアニストに対する愛情が感じられるのでこれはこれで良い。音楽は生き物なので、作曲家と演奏者のどちらを重視しようと、結局は音楽を愛していることになるからだ。実際私も、ブレンデルの方法論を一概に否定することは少々野蛮だと考える。シューベルトの指示どおりに弾くことが本当に「楽曲の最高の形」であるか否かなど、誰にもわからないからだ*1。しかし、そのような神学論争が交わされるディスクであることは、未聴者にしっかり認識されるべきだ。なぜなら、『ピアノ・ソナタ』を読んでD.960に手を伸ばす人がいたとして、その人がD.960を聴くのは生涯でこの時だけになる可能性が高いからである。相応のリスクを認識し、それでもなお解説者の友人(無記名)の意見に従うか、それとも他の演奏者を選ぶか。それらはあくまで個々人の判断に基づかねばならない。もちろん、この9小節の有無が、曲への好悪を分かつほど重要な分岐点になるとは思わないが……。

*1:作曲家の指示に盲従することが「楽曲の正しい形」であることは確実だが、正しい=最も素晴らしいとは限らないのが、音楽の難物さとかけがえのなさを示す。