不壊の槍は折られましたが、何か?

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ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》


 70年代後半に録音された交響曲全集からの1枚である。《グレイト》は1977年6月10日〜12日、ベルリン・フィルハーモニーでのセッション収録となる。
 意外とテンポが速めの第一楽章序奏からスケール豊かな演奏で、黒光りするオーケストラが豪壮華麗に鳴り響く。レガート主体の奏楽であり、第一楽章の主部におけるジュリーニの例のテヌート全開ほどは強烈な印象は残らない(と言うよりも、奏法だけでアレ以上にギョッとさせる演奏はなかなか難しいだろう)ものの、流麗さを最優先にした解釈はなかなかに特徴的である。ただしカラヤンは、流麗なだけではなく、全体の流れを確保した上で、オーケストラの轟音を爆発させたり、ベルリン・フィルの優秀な木管群が見事な音色で花を開かせていくことを求める。よって迫力と魅力が横溢しており、見事という他ない。忘れがたいのは、カラヤンのフレーズ処理の見事さだ。古典派に比べて格段に長い旋律線を、カラヤンは見事に歌い抜いている。オーケストラへの意思浸透も相当なもので、楽器間のメロディーの受け渡しが時々ハッとするほどスムーズなのは特筆ものであろう。もちろん、コブシを利かせての情熱的な耽溺、という意味での《歌い抜き》ではないし、何か具体的な感情を歌に乗せているわけではないが、魅惑的なメロディーを全編に渡ってしっかり提示している。速いテンポで一気に駆け抜けるスケルツォ主部もオーケストラの技術力の高さと相俟って、圧倒的である。フィナーレはもはや何をかいわんや。この楽章の細かいモチーフをミニマリスティックな構造単位と捉えるか、小さなメロディーと捉えるかで演奏効果がだいぶ変わって来るが、カラヤンは後者の路線を採用している。ただしフレーズの息を長めにとっているので、遠大・壮大な音楽になっているのが面白い。弾みはしないが驀進する演奏で、一気呵成に聴かせるテンションの高さは特筆ものである。聴き手は、大変にエキサイティングな音楽体験ができると思います。
 交響曲全集としては、初期交響曲の大ぶりな表現が面白い。カラヤン一流の重厚壮麗なサウンドと表現で一貫しており、威力的なベルリン・フィルが堂々と鳴り響いている。奔流のように轟き渡る時もあって、豪快な局面すら登場、迫力満点である。というわけで、演奏が楽曲のスケールに明らかに合致していない――はずなのだが、これが意外とイケてしまうのが不思議なところだ。違和感がないわけではないのだが、何というか、こういうのもアリかも、と思ってしまうのである。よく考えるとここまでベルリン・フィルを重厚に鳴らすこと自体、結局カラヤン以外では誰もできなかった*1わけで、シューベルトの初期交響曲をこう解釈する指揮者なんか今後出て来ないだろうし、カラヤン以前にもまるでいなかったわけで、希少価値満点である。オーケストラが結構ノリノリなのも面白い。フレーズの息を長めにとっているので、シューベルトの旋律線自体をたっぷり味わうことができるのも良い。というか、カラヤンは壮麗な音響と同時に、フレージングをしっかり計算して息長く旋律を歌うこと――情緒に満ちた歌い方ではないが――を特徴とする指揮者である。前者はともかく後者はシューベルトの初期交響曲にもハマっており、それが本全集の不思議な説得力の源泉になっているのではないか。レガートが強いなあという箇所もあるけれど、決して下品にはなっていないのは偉とすべきでしょう。なお第6番のフィナーレはテンポ設定が目立って遅い。それがメロディーをより活かすことに繋がっていて、唸らされました。ここは「なるほど本来はこういう曲なのか」と呟きそうになったぐらいです。
 そして《未完成》、これはカラヤンの芸風と曲の持ち味がぴったり合っていて、ちょっと濃厚過ぎる気もしますが、優美な時間が流れます。もちろん強奏部の迫力は満点で、この曲の暗さの表現に抜かりはありません。第二楽章はカラヤンにしても恐ろしく耽美な演奏だと思います。これはかなりのお気に入り。交響曲全集のついで(?)に収録された《ロザムンデ》関係の音楽は、豪華で美しいけれどそれほど面白くなかったです。何故だろう?

*1:やろうともしなかったのかも知れないが。