不壊の槍は折られましたが、何か?

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アルトゥーロ・トスカニーニ/NBC交響楽団 シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》

 1947年2月25日、カーネギーホールでの録音。短兵急・怒髪天、そういう言葉が頭をよぎる強烈な演奏である。燦々と輝く太陽のような灼熱の光の前に、ほとんど全ての陰影とニュアンスが吹き飛んで、代わりに強靭なカンタービレと強い意志で貫徹されている。テンポは速め、ハーモニーは固め、おまけにメロディーは湿り気抜きに強靭なカンタービレで歌われる。逍遥、たゆとい、浮遊等はトスカニーニの辞書にはないらしく、全てがどストレート、かつホットだ。ふとした拍子に蠱惑的な表現をやり始める奏者もいないではないのだが、すぐに切れ味鋭いフレージングに併呑され、元に戻ってしまう。加えて言えば発想がモノフォニックであり、伴奏や内声もしっかり聞こえてはいるのだけれど、それらは全て、強靭に歌い込まれる主旋律の従属物に過ぎないことがはっきり示されるのだ。楽譜上の若干のズレは全て主旋律に合わせられているように聞こえる――というか、少なくともそのフレージングは主旋律と完全に同期化されている。これはトスカニーニの音楽作りの特徴と言えるだろう。トスカニーニのベルリン公演を聴いて悪口を手紙に書いているフルトヴェングラーなどは、こういうのを悪い意味で単純だと捉えたのかも知れません。
 というわけで、私としてはちょっと付いて行けない局面が多かったけれど、諸々の要素をここまで徹底できるのは、凡庸な指揮者はもちろん《普通に偉大な》指揮者ですら不可能だ。まず間違いなくトスカニーニは、極度に偉大な指揮者であった。あとここまで硬く聞こえるのは、録音の問題という可能性もある。デッドな音場だし、スクラッチノイズもそれなりですしね。でもフレージングの硬質っぷりは、録音のせいじゃないと思います。
 その点、《グレイト》以上にオススメなのが、私が聴いたCDのカップリング曲の、シューベルト交響曲第5番である(1953年録音)。こちらは第一楽章で、上記《グレイト》以上に強烈な、モノフォニックなカンタービレを聴かせた後、第二楽章でふっと力を抜いて侘しげな歌を聞かせてくれる。トスカニーニの芸の引き出しの多さに感じ入る瞬間である。というかこれができるなら《グレイト》の第二楽章でも同じことやってくださいよ……。第三楽章とフィナーレでは再び力感満点に戻るが、不思議と上記《グレイト》ほど硬直している印象はない。これはトスカニーニの老いのためなのか、録音が良くなったからか、解釈が若干変わったからか?