不壊の槍は折られましたが、何か?

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ブルーノ・ワルター/コロンビア交響楽団 シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》

 1959年1月&2月、American Region Hall(ハリウッド)でのスタジオ録音。ロングセラーである。
 基本的にテンポはやや遅めである。ただし序奏は目に見えて遅い。どの楽章も丁寧に弾かれていて、いい加減に弾き飛ばされるところは皆無。どの一瞬にも音楽に対する配慮と敬意が込められており、聴き手が抱く好感度は自然と極めて高くなる。細部に至るまで表情付けが入念に為されており、ほんのちょっとした合いの手まで聴き応えがある。つまりは魅力満載ということだ。特に木管群のニュアンスの豊かさは筆舌に尽くしがたい。そしてトゥッティも力強さに欠けるところはなく、あるべきところでは迫力もしっかり出ている。ここで管弦楽を務めるコロンビア交響楽団は、急作りの、ワルターの一連のステレオ録音のためだけに編成された(というか全員バイト?)のオーケストラであり、第一級のアンサンブル精度を備えているわけではないが、本当にしっかり演奏をしていて、極めて意欲的・積極的・真面目に取り組んでいる。少なくともこの録音におけるコロンビア交響楽団には*1、良い意味での《手作り感》があり、老指揮者の細かい指示を元に、オーケストラが一生懸命に演奏している姿が目に浮かぶようだ。
 反面、テンションは高くない。ところがこれが悪い方向ばかりには働いていないのが、この演奏の凄いところである。低音が強調される録音バランスによって意外と暗めに傾く全体の雰囲気を考えると、テンションがそれほど高くない=平常心の場面が大半を占める中で、ふとした拍子に吹きこぼれる《ニュアンス》《歌》を落ち着いて聴き取ることができるのは、実に心地よい。この演奏の終始一貫した落ち着きは、ことによると指揮者の老いの表れであるかも知れない。しかしたとえそうだったとしても、結果的にプラスにしか作用していないのだから、問題視する必要は全くないはずである。だいいち先述の通り、弱々しい演奏では全くなく、力強さは随所で感じ取れるのだ。必要十分、痒い所に手が届く、本当に行き届いた演奏が展開されている。素敵な曲だなあ……と聴き惚れること請け合い。
 そして現れるのは、結構威力的でスケールも大きめでありながら、等身大の歌にもあふれた、実に魅力的な《グレイト》である。人間味と言い換えても良いだろう。二十世紀半ばまではこの曲のイメージって誰に訊いてもこんな感じだったんじゃないか、そう思わされる規範的演奏である。

*1:実際には他の録音(私は大体8割強の録音を聴いている)でも、特徴は共通する。素晴らしいことである。