不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

カール・シューリヒト/南ドイツ放送交響楽団 シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》

 1960年9月シュトゥットガルトでの録音。コンサートホール・ソサエティのレコードであるが、私が聴いたのはSCRIBENDUMによるシューリヒトのコンサートホール・ソサエティ録音のセットである。このセット、CD10枚分あるが、諸般の事情によりコンサートホール・ソサエティへのシューリヒトの録音の全集とはなっておらず、ブラームス交響曲第3番やモーツァルトの《リンツ》など一部が欠けている。契約の関係によるらしいが、しょうがないとはいえちょっと中途半端だ。
 さてこの《グレイト》、ステレオなのだが録音が酷い。多分マイク配置が失敗、録音レベルの設定も失敗、さらにミキシング担当者が馬鹿だったのであろうと考える。かなりのオンマイクで、ヘッドフォンだと木管群のフォーカスが過ぎ、弦が後ろに引いてしまっている。これでフィナーレは厳しい。そして強奏時や多数パートが同時に鳴る時は、ものの見事に音割れする。最初期のステレオ録音によく見受けられたように、オーケストラの各パートを左右に振り分けて鳴らすことに注力するあまり、各パートの分離がドラスティックに過ぎて、ハーモニー全体を録ることに大失敗しているのである。実際の音がどうだったかはさておき、この録音で聴かれる音は、がさつで薄汚い。酷いものだ。加えて、低音部はモノラル録音よろしくモゴモゴしてしまっている。音割れ&低音部どよどよだと、どうしても《迫力》が出てしまうのだが、この《迫力》が実態通りのものなのかどうか判断は困難を極める。スピーカーで聴くとちょっとマシにはなるのだが、それも「ちょっと」。音楽が可哀そうだ。
 ということで演奏自体の評価はなかなか難しいのだが、全体的に彫りが深そうではある。あと飄々とは全くしておらず、全体的にカッチリはっきり弾かせようとの意図が見られる。第一楽章は序奏部はゆったりで主部はやや速め、盛り上がりにも不足はなかった模様だ。第二楽章は木管自体はニュアンス豊かにしっかりと歌わせていて、寂寥感が匂い立つ。ただし全体的な響きが薄汚い――先述の通り、録音のせいである可能性は高いのだが――ため、今一歩の感がある。推進力の出るシーンは(音が汚くてもそれほど気にならないため)悪くないんですがね。第三楽章はスケルツォ主部はまだ聴けるが、トリオは録音のせいで糞そのものに成り果てている。フィナーレは心もち遅めのテンポで、細部までしっかりかっちり真面目に弾かせようとしている。シューリヒトはこの曲を飄々と奏でさせてはおらず、画然とした造形を施しつつ、大交響曲としてスケール豊かに提示したかったのであろうと思われる。しかし録音が録音なので、それ以上のことはわからない。
 どう考えても50年代以前のモノラルによるライブ録音の方が場の空気感は拾えているはずで、シューリヒトの《グレイト》は、そちらで聴くべきであったかも知れない。いずれにせよ、この録音でシューベルトのこの名曲の価値は理解できないと思う。