不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

チョン・ミョンフン指揮アジア・フィルハーモニー管弦楽団 2012

19時〜 サントリーホール

  1. シューベルト交響曲第7番ロ短調D759「未完成」
  2. ベートーヴェン交響曲第3番変ホ長調op.55「英雄」

 別に悪い演奏ではない。だが言い知れぬ虚しさを感じた。それが事実である。
 オーケストラの実力は高い。アンサンブルもソロも特に不満はなく、コントラバス10本の大編成を活かしつつ、数量で押し潰さないまろやかなサウンドが希求されており、鳴っている音は極めて音楽的であった。そこそこの深沈、そこそこの活力、そこそこのカンタービレ、そこそこの優美、そこそこのスケール、そこそこの迫力、そこそこのスピード感、そこそこの喜怒哀楽が打ち出されており、過不足もない。だが、それがどうしたという思いは最後まで拭えなかった。チョン・ミョンフンはオーケストラに君臨せず、活気ある大枠を示しつつ、細部までは自分でコントロールしようとしない。和気藹々と、楽団員と一緒に音楽を作り上げて行こうとする。オーケストラもそれに応えていた。だから舞台上では親密な空気が流れていた――ように見受けられはするものの、至近距離に座っている私にすらその雰囲気が飛んで来ない。イニシアティブを誰も取ろうとせず、ただただお互いのために最善を尽くしている今日の演奏は、正直言って、身内の身内による身内のための演奏だったような気がしてならない。
 演奏終了後、会場は大いに盛り上がっており、そこここでスタンディング・オベーションが見受けられた。私は付き合わなかったが、一般参賀もおこなわれたようである。だが私は違和感と疎外感しか感じられなったのである。ぶっちゃけ過ぎかな。でも事実だから仕方がない。舞台上でこの人たちは一体何がしたいのか、とまで思ってしまったのだから。あるいは、国は違っても音楽を通して人は繋がれることを示したかったのだろうか。まあそれはそれで達成できていたし、それが素晴らしいことなのは間違いないが、申し訳ないが私の興味はそこにないとしか言いようがない。もう当分、チョン・ミョンフンはいいかな。