不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

東京交響楽団第591回定期演奏会

サントリーホール 18時〜

  1. モーツァルト交響曲第25番ト短調K183
  2. モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調K 364
  3. シェーンベルク浄夜op.4

 コンサートマスターが25番はグレブ・ニキティン、協奏交響曲で高木和弘(ただしニキティンもサイドに座る)、浄夜でライナー・キュッヒルと、陣立ては変則的。ニキティン氏と高木氏、そして協奏交響曲ヴィオラのソロを弾いた西村さんも、浄夜の演奏に参加していた。
 25番では、スダーンのモーツァルトの特徴である、随所にバネを仕込んだ弾むような演奏が見事に決まり、筋肉質かつ勢いのある充実した演奏を披露。「モーツァルトの青春の情念が込められている云々」という妙な物語性を排除した、純音楽的な演奏になっていた。基本的にピリオド・スタイルなのもいつも通りである。ニュアンスも細かくつけられていて、終始感心しながら聴いていた。いやこれは大変な耳のご馳走です。殊に見事だったのは精妙な第二楽章と、遊び心すら垣間見せたメヌエット。後者の中間部では、オーボエに上品な装飾を付けてました。
 協奏交響曲では、ウィーン・フィルコンマスたるキュッヒル(ビブラートぎんぎん!)に遠慮してか、ヴィオラ・ソロの西村さんもオケの伴奏も若干ビブラートをかけていたが、生煮えに陥ってしまっていたように思う。その代わり、キュッヒルのプレゼンスが高まっており、きりりと引き締まったパッショネートな演奏で共演者と客席を圧倒。このヴァイオリンに音の低いヴィオラで対抗しなければならない西村さんはさぞや大変だったろうと思うが、キュッヒルに無理に張り合おうとせず、自分の音楽を守って沈着に演奏していたのは好感が持てる。テンションの高いヴァイオリンと、地味だけれどふくよかなヴィオラ、焦点が少々はっきりしないオケの絡みは、これはこれでなかなか面白かったように思います。
 キュッヒルがウィーンからボウイングを持ち込んだという後半の《浄夜》は、期待通りの素晴らしい出来栄え。カラヤンの録音に聴かれるような耽美的スタイルではなく、より圭角の立ったスタイルであったが、だからこそ元ネタの詩に出て来る男の懊悩がダイレクトに伝わって来る。パート分奏までやったと仄聞する厳しいリハーサルの成果だろう、どのパートもクリアに聞こえ、細部に至るまで「でき上がってる」演奏となった。最後の浄化は清廉そのもの。なお「ストバイの中ではキュッヒルの音が一番でかくて、素人耳にも彼の音がはっきり個体認識できる」状態になってましたが、これはウィーン・フィルでも全く同じ状況になるため、東京交響楽団のストバイが弱かったというわけではありません。オケ全体を能動的・積極的に引っ張るコンマス像をキュッヒルが抱いているのが、最大にして唯一の理由なんでしょう。コンマスの在り方が実際の音にはっきり出ているケースとして、非常に興味深いなあと思うわけです。なお、キュッヒル効果なのかスダーン効果なのかは不明ですが、《浄夜》で東響が出していた音は本当の本当に輝かしかった。この音で情熱的に演奏に打ち込まれると、感動するしかないなあ。
 というわけで、非常に充実した演奏会となりました。時間が経つのが本当に早かったのもポイントです。