不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

フランチェスコ・トリスターノ BACH×CAGE bachCage

19時〜 津田ホール

  1. フランチェスコ・トリスターノ:イントロイト(インプロヴィゼイション)
  2. J.S.バッハ:パルティータ第1番変ロ長調 BWV825
  3. ジョン・ケージ:ある風景の中で
  4. J.S.バッハ:デュエット第1番ホ短調 BWV802
  5. J.S.バッハ:デュエット第2番へ長調 BWV803
  6. J.S.バッハ:デュエット第3番ト長調 BWV804
  7. J.S.バッハ:デュエット第4番イ短調 BWV805
  8. ジョン・ケージ:四季
  9. J.S.バッハ:パルティータ 第6番 ホ短調 BWV830
  10. フランチェスコ・トリスターノ:グラウンドベース
  11. (アンコール)フランチェスコ・トリスターノ:メロディ

 1981年ルクセンブルク生まれのピアニスト、トリスターノのリサイタルに行って来た。彼はロマン派は弾かないとされ、ミニマルミュージックやテクノミュージックに入れ上げている。今日もその嗜好を遺憾なく発揮したプログラミングで、バッハとケージ(ミニマル、そしてテクノの祖とされる人だ!)を並べて、それを内部奏法も積極的に使用される即興的要素の強い自作で挟むという構成である。《イントロイト》がパルティータ第1番と同じく変ロ長調だということも注意したい。
 さて感想。トリスターノは独自の世界を持った音楽家であると思った。プログラミングの妙もさることながら、照明を駆使して、曲や楽章によって光の色や強さを変えて雰囲気出してるんだよな。青やら赤やら模様浮かべるやら色々するんだけれど、光そのものは弱く、その薄闇の中で囁くように弱音主体でバッハとケージが奏でられる。演奏自体は、基本的に慈しむような静かなもの。絶対に押しつけがましくならないのが最大のポイントかなあ。すげえ涼やかなの。汗が飛び散ったり顔が上気するようなハイテンションには決してならず、リズム面では結構ノリノリだったりするけれども、ブイブイとまでは絶対に行かない。唯一例外があったとすれば、それは《四季》における破壊(秋)の描写であった。ここは照明も舞台奥の壁を真っ赤に照らして衝撃的。他は概ね非常に丁寧にまとめられていたけれど、冷たい澄んだ湖の底に沈んで行くかのような「底の知れなさ」は演奏が進むにつれて凄みを増して行き、舞台の光景と音が完全にマッチングしていた。こういう演奏会には、圧倒されたという表現使ってもずれてしまう。演奏家が形作る世界に、聴き手が深く沈降して行く非常に独特なアトモスフィアがあった。こういうモードで聴くと、バッハ/ケージ/ミニマルって確かに非常に近い。そしてもし仮に、この中にロマン派が(ことによると古典派も!)入っていたら、違和感は半端なかっただろうなあ……。
 アンコールはトリスターノという音楽家の特性を、当夜で最もはっきり打ち出していたかも知れない。曲想がリズミカルに繰り返されるうちに徐々に変化していくのはまさにミニマル、加えてこのリズムの踏み方はクラシックらしくなく、ライリ、アダムズやライヒとも異なるもっと「若い」もの。門外漢なので断定は避けるが、ここまで行けばテクノかも知れない。でも絶対にハイテンションにはならず、呟き囁くような奏楽が主体。まさにトリスターノの音楽性を占めてしたように思うのだ。なおパルティータ第1番の真っ最中に震度2?ぐらいの地震がありホールもちょっとだけ軋みましたが、トリスターノは全く動じず粛々と演奏し続けていた。「入って」しまっていて気付かなかっただけかも知れないが、腹も据わってますねえ。頼もしい。