不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

ピョートル・アンデルシェフスキ ピアノ・リサイタル

19時〜 サントリーホール

  1. J.S.バッハフランス組曲第5番ト長調BWV816
  2. シューマン(アンデルシェフスキ編):ペダル・ピアノのための練習曲(6つのカノン風小品)op.56
  3. ショパン:3つのマズルカop.59
  4. J.S.バッハ:イギリス組曲第6番ニ短調BWV811
  5. (アンコール)シューマン:森の情景Op.82から《孤独な花》
  6. (アンコール)シューマン:森の情景Op.82から《宿にて》
  7. (アンコール)シューマン:森の情景Op.82から《予言の鳥》
  8. (アンコール)シューマン:森の情景Op.82から《別れ》
  • ピョートル・アンデルシェフスキ(ピアノ)

 曲目が当初発表からコロコロ変わりましたが、最終的には上記のように落ち付いております。プログラム・ブックに記載されている曲目すら1と3が違うという凄い状況ですが、演奏は本当に素晴らしかった上に統一感も半端なかったので文句は全くありませんですハイ。
 6時55分にホールに入ると、まだチャイムが鳴っていないのに、既にアンデルシェフスキが女性(たぶん日本人のスタッフ)と一緒にステージ上に出ていて、ピアノ右奥に設置されたソファーセットに座って日本茶を啜りながら寛いでいる。そして演奏時間になると、女性が引き下がり、残ったアンデルシェフスキは暫く客席を眺めた後おもむろに立ち上がってピアノに向かう(拍手もここで入ってました)。日常からフラット/シームレスに繋がる演奏会を志向してのことだと思いますが、サントリーホールは構造上明らかに「非日常」のホールだからなあ。
 しかし演奏は上質。イギリス組曲第5番(短調)を変更してフランス組曲第5番(長調)を冒頭に持って来て、まず華やいだ雰囲気を醸し出す。ただしそこはバッハ、構築的な音の連なりが訥々と語られる内に、聴き手は伽藍にいるかのような気分になって来る。テンポと音量を含め、解釈は本当によく練られているのだが、作為を一切感じさせず伸びやかに、スムーズに聞こえるのが素晴らしい。続くシューマンも、カノン風の曲想が多用されるため、時代はだいぶ違うのにバッハの後に聴いても全く違和感がないどころか、統一性すら感じさせて見事。恐らくアンデルシェフスキも、ロマン派的な意味合いにおける感情表現をここでは避けていたように思われる。
 後半のショパンも、マズルカのリズムを強調する方向には行かず、フレーズが短いという曲の性格をうまく活用して、最初と最後にバッハを配置したこのプログラムに溶け込む「粘りのない」演奏を繰り広げていたように思う。ただしテンポ設定はそれなりにフリーダム。時折ふわりと漂う色香がたまらなかった。そして最後のイギリス組曲第6番*1では、様々な意味で全開の演奏が堪能できた。プレリュードの後半をのけぞるようなハイテンションで弾き上げていたのが一番印象に残っていますが、深く沈滞するようなクーラントサラバンドにも圧倒されたし、軽快だが寂しげなガヴィット、不安に満ちたジーグも素晴らしかった。ショパンから切れ目なしに続けられたプレリュード前半も、作曲者が変わったとは瞬時にはピンと来ないほど自然に、シームレスに繋げられていたように思います。
 というわけで、プログラミングも演奏も非常に興味深く、かつ感動的な演奏会であったと思います。この時期に来日してくれるだけでもありがたいのに、こんな素敵な演奏内容だなんて、いやあ体調不良を押して行って良かった。ただし、この演奏会にアンコールは蛇足であったかも知れません。これはこれで良い演奏ではありましたが、本プログラムからは浮いてしまう内容であったと思います。

*1:マズルカからアタッカで入ってました。