不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

ベートーヴェン+ Vol.3 小川典子 ピアノ・リサイタル

ミューザ川崎 15時〜

  1. 菅野由弘:虹の粒子…ピアノと歌舞伎オルゴールのための
  2. ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番ホ長調op109
  3. ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番変イ長調op110
  4. ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番ハ短調op111

 演奏開始前に小川典子菅野由弘がマイクを持って登場、《虹の粒子》の解説をおこなった。知らなかったのだが、歌舞伎オルゴールとは江戸時代後期より実際に歌舞伎で使われる楽器であり、ヨーロッパの楽器ではないとのこと。仏具の引磬いんきんをサイズ違いに3個以上並べて台に固定したものを玉撥で叩く楽器で、これをピアノの譜面台の右端に置いて、適宜ピアニストが操作していました。なお当日使用された歌舞伎オルゴールは、菅野由弘氏の結婚祝いに人から贈られた引磬が4個付いたもので、値段等は把握していないとのこと。果たしてこれ、引磬が3個あるいは5個以上付いた歌舞伎オルゴールでも演奏できるのかは、楽譜も見てないんでよくわかりません。
 作曲者が言うには、《虹の粒子》の「虹」とは歌舞伎オルゴールの音色から連想したものらしく、また舞台の照明も使用して虹っぽい情感を出したいとのこと。「粒子」とは、小川典子の「音の粒」を感じさせない演奏能力、ミューザ川崎の素晴らしい音響効果をイメージしてのことらしいです。実際演奏中は、時折照明が変わって、カラフルなことになっていましたね。ただし光源が動いているわけではなく、単に舞台に投げかけられている光色および量が変化するという感じでした。楽曲自体は、繊細なタッチを駆使した作品で、なかなか美しいものでした。そして確かに、打鍵をくっきり目立たせる曲作りは為されておらず、あくまで楽想が浮遊するように滑らかに移行していました。後半にかけてかなり盛り上がるのは、12分ほどの現代楽曲にしては珍しく終末歓呼型だなあと思われたことであります。
 前半はこの1曲のみだったわけですが、その演奏後、小川典子はまたもやマイクを持って戻って来て、今度は後半に弾くベートーヴェンの解説を開始。と言ってもソナタ形式スケルツォだ変奏曲だフーガだといった解説ではなく、あくまで印象論ベースで魅力を語るもので、意外だったと同時に好感を抱きました。彼女曰く、「この3曲はピアノを弾いていて本当に良かったと思える曲」で、109は「つやがある」、110は「珍しく愛情を込めてという指示から始まり、第三楽章では悲しみや嘆きから立ち上がる」、111は「ベートーヴェンの要素が凝縮された」ものであり。第一楽章は激しい音楽で“もうどうにもとまらない”、第二楽章は一転してそれらを全て昇華」しているという。111でベートーヴェンは人間として非常に高いレベルに上り詰め、もう苦悩することはないだろう、やり残したことはないだろう――と思わせておいて、この後に第九だの苦悩に満ちた後期弦楽四重奏だのが控えているわけで、やはり人間というものは完成することはないんだ、とも感じているそうです。ピアニストによるこの後期三大ソナタへの、素直な信仰告白といえましょう*1
 演奏は実に見事なものでした。弾き飛ばす場面はあまりなく、丁寧に楽想をくっきりと浮かび上がらせていたように思います。とはいえその描き分けに注力する余り音楽の運びが停滞する演奏*2でもなく、何より大変メロディアス。歌に溢れていたとも言う。若干のミスタッチは見受けられましたが、音楽の屋台骨(リズムやタッチ、テンポ)は常に安定しておりテクニック起因ではない、青雲を仰ぎ見るかのような爽やかさが感じられました。タッチの粒立ちが良かったのもGood。確かな技術と愛情に支えられた、素晴らしい後期ソナタを聴けたと思います。

*1:一方で、ビーケーワンのレビュアーであるみーちゃんは、シルヴェット・ミリヨ『弦楽四重奏曲』のレビューで「これまた印象になってプロを激高させることは確かナンですが、ベートーヴェンピアノソナタにしても、音楽評論家はこぞって後期の作品を絶賛します。でも、私は初期のソナタ、あの瑞々しいシンプルな音楽は、後期の晦渋で大げさな曲から聞こえてはきません。ただただ、テクニックを見せ付けるだけの晩年の作品が「円熟」の成果でしょうか?」と言っている。まあ確かにシンプルではないわな。後期ソナタは駄作とするのもまた一つの意見ではあるので、これ自体の善悪は判断しませんが、この言い方をそのまま容認すると「ベートーヴェンの後期ソナタを愛するピアニストは、テクニックを見せ付けたいだけの馬鹿」という結論しか出て来ないことになります。文章はもうちょっと考えて書くべきなんじゃないでしょうか。いぶかしいのは、他の本のレビューでの自己申告によると、みーちゃんは前衛音楽も聴いているらしいことだ。恐らく調性ベースのメロディーはなくとも、鳴る音の少ない前衛を聴いているんじゃないかと思われるが、しかしそれにしても、彼女の中でこれはどう整理されているんだろうか。それとも整理できていない(その自覚もない)のだろうか。一つの楽想をいじくり倒す音楽が嫌いということかしら。

*2:録音を聴く限り、ブレンデルは割とそういう人だったように思う。とはいえ、それはそれで風情があるのがブレンデルの不思議なところだった。