不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

英国ロイヤル・オペラハウス 管弦楽団・合唱団 特別演奏会

NHKホール:16時〜

  1. ヘンデル:オラトリオ《メサイア》(モーツァルト編)
  • スーザン・グリットン(ソプラノ)
  • キャスリン・ウィン=ロジャーズ(アルト)
  • パク・ジミン(テノール
  • ブランドリー・シェラット(バス)*1
  • 英国ロイヤル・オペラハウス合唱団(合唱)
  • 英国ロイヤル・オペラハウス管弦楽団管弦楽
  • アントニオ・パッパーノ(指揮)

 休憩は第一部と第二部の間に25分。第二部と第三部の間に休憩は入りませんでした。
 のっけから恐縮だが、実は《メサイア》はあんまり好きな曲じゃない。華やかな曲なんだけれど、厳粛さや暗さにやや欠けている。むろんそういう音楽を否定するわけじゃない。それどころか好きですらある。しかし、明るい曲想が延々2時間半(第一部だけでも1時間!)も続くとさすがに飽きて来るのであります。その点で今日は、キリスト誕生の喜びを歌う第一部はやや退屈し、キリスト受難を描く第二部と第三部を集中して聴けたのが自分でも興味深かった。私は自分で思っている以上に、格式ばったものや悲劇性のあるものにありがたみを感じる阿呆らしい。
 演奏の方はたいへんに見事。モーツァルト編曲版ということもあってか、編成は少々大きめで、それをパッパーノが壮麗にまとめ上げていました。一糸乱れぬ、とまでは行ってない箇所も散見されましたが、伴奏の真っ最中でもはっとするほど良い音をオケが出してましたね。合唱団も素晴らしく、精緻ってわけではありませんが活きの良い歌唱を展開。何か変なことをやっていたわけじゃないですが、素直にスコアを音化していた演奏だったと思います。独唱者では、特にアルトが良かったなー。テノールはディクションがちょっと……。まあ他3人がネイティブなんで不利に聴こえるのは仕方ないけれど。なお全体では第三部ラストの合唱に頂点を設定した演奏(アーメンではNHKホールで音が飽和気味になってました。あれは凄い)で、例の《ハレルヤ・コーラス》でも全力は出さない。こうすることで、この曲が信仰を歌い上げていることをはっきりさせていたと考えます。救世主の生涯では決してなく、ね。全体的には、人間が人間らしく愉しげに演奏する、という興趣で温かい気持ちで会場を後にできました。ヘンデルにはこういうのがよく似合う。
 問題の《ハレルヤ・コーラス》では起立する人がチラホラ。《メサイア》のロンドン公演の際に、当時の国王がコーラスの場で起立したという、史実かどうかすら怪しい伝説が付いて回るこの曲ですが、仮に史実だったとしても、国王が立ってるのに臣下が立たないのはやばいということで皆立ち上がったというのが実態です。なぜ慣習化されたのかよくわからないうえに、イギリス国王が元首である国の民でもない我々が、なぜ起立しなければならないのか。「すんな」とは言いませんが、立ち上がられると、後ろの客は舞台が見えなくなるわけだし、そこら辺も考えてからやってくれと申し上げたい。なお、《ハレルヤ・コーラス》が終わった後には満場で拍手が起こりましたが、これやっても良かったのかな。演奏者は「しょうがないなあ」という感じでニヤニヤしつつ、決して答礼しませんでした。

*1:当初予定されていたクリストフフ・フィシェッサーは、咽頭炎のため出演不可能になった由。ご自愛ください。