不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

スウェーデン放送合唱団(横浜公演)

神奈川県立音楽堂 16時〜

  1. メンデルスゾーン:「山に向かって目を上げよ」(オラトリオ「エリア」Op.70より)
  2. メンデルスゾーン詩編2番「何ゆえ荒れ狂う異教徒」(「3つの詩編」Op.78より) 
  3. メンデルスゾーン:「主は、汝のために御使たちに命じ」(オラトリオ「エリア」Op.70より)
  4. ブラームス:「3つの歌」Op.42(1.セレナーデ 2.ヴィネータ 3.ダルトゥラの哀悼歌) 
  5. プーランク:小室内カンタータ「雪の夕暮れ」
  6. スヴェン=デヴィッド・サンドストローム:「主を讃えよ」 
  7. J.S.バッハ:モテット「主に向かって(新しき歌を)歌え」BWV255
  8. スヴェン=デヴィッド・サンドストローム:「主に向かって歌え」
  9. (アンコール)アルヴェーン:そして乙女は輪になって踊る
  10. (アンコール)ステンハンマル:後宮の庭園にて(「3つの無伴奏合唱曲」より)

 全てにおいてバランスのとれた素晴らしい歌唱! 合唱部だけでなく、特に近現代曲目でたまに出て来るソロにも完全対応。当日は本来伴奏が付いている曲目もア・カペラだったんだけど、全く不満なし。このレベルにまで到達すると、原曲通りの編成でやるとかやらないとか本当にどうでも良くなることを痛感させられました。
 真に恐るべきは、ビタビタ音が合ってるからとか、ハーモニーが美しいとか、アンサンブルが機敏だとかではなく、それら全てを普通のテンションでやってるということ。いや当然裏ではかなりの研鑽があったのことなんでしょうが、その苦労の跡を完全に消すところまで到達しているのが凄い。強烈なコブシを利かせるなどして、気合いをそのまま生の形で客席に見せるというのも、スタイルとしては悪くないです。悪くないんですが、そのようなコブシすらなく、ただひたすらに美しい声の伽藍を形作って行くスウェーデン放送合唱団もまた、素晴らしいと思います。
 プログラムも特に後半が興味深かった。主を讃えよ、という趣旨の歌詞の曲を並べ、かつ、バッハとサンドストロームの二曲目は、使われている詩編がほぼ同じ。結果として、バッハとサンドストロームの作曲技法の違いが明らかにされる。サンドストロームという作曲家を聴くのは当日が本当に初めてでしたが、各声部の掛け合いが非常に面白かったです。アンコールでは、アルヴェーンで指揮者が開始の指示を出した後すぐに脇にどき、残りは合唱団が完全に自分たちだけで歌ってました。その浮き立つような演奏に、合唱団の中の人々の「肉声」が初めて顔を出していたような気がします。
 いずれにせよ素晴らしい演奏会でした。彼らが次に来日した際は、実演で聴くことをおすすめします。私もまた行きたい。
 ところで当夜は、左隣に座っている三十代と思しき男性が「洗濯に失敗した臭い」を発散させ、右隣に着席した親子(?)連れの子供の方がずっとゴソゴソしていました。服の臭いぐらいは嗅いでから外出していただきたいですし、鼻がいかれているなら、洗濯はもっと注意深くやってください。そして小学校低学年の子供に合唱(しかもア・カペラ+外国語)は、いくら何でも厳しいと思うんだ。昔、赤川次郎がエッセイで「知り合いに、ブラームスの《ドイツ・レクイエム》を人生で最初のクラシック・コンサートで聴いて、『やっぱりクラシックは退屈だと思って帰って来た』と言ってた人がいるけど、当たり前ですよね」と書いていましたが、私も同意します。ド素人にクラシックの声楽は正直、鬼門。