不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

NHK交響楽団第1676回定期演奏会

NHKホール 15時〜

  1. ドヴォルザーク:チェロ協奏曲ロ短調 作品104
  2. (アンコール)中田喜直:夏の思い出
  3. ドヴォルザーク交響曲第8番ト長調 作品88

 アシュケナージは細かい味付けをオケに任せてしまう指揮者のようだ。それは、上手いオーケストラ、あるいは「拘り」を持っているオーケストラに対してであれば、有効な手段となる可能性がわずかながら残されている。しかしNHK交響楽団のような、ニュートラルな響きのオケ相手にそれでは、自殺行為にしかならない。
 オーケストラの鳴り自体は良かったように思う。特に金管は結構頑張っていた。しかし、弦ががさつで、木管はニュアンス・ゼロの素っ気なさ。アシュケナージは嬉しそうに指揮棒を振り回して、各楽想のリズムを強調し、結果として音楽がバラバラに分解されてしまったように思う。特定の意図があって楽曲を解剖するのであれば、それはそれで面白い。しかしアシュケナージに深い考えなどあるはずがなく、「今そこでこう鳴らせと楽譜に書いてある」ことを情熱と喜びを持って、しかし場当たり的に音にしていくだけだ。そこにN響の腰の重さも加わったので、リズムは弾まず、推進力も生まれない。トゥッティも薄汚かった。オケに無理をさせず、身の丈に合った音を出さるのが彼の身上だったとしても、こんなに魅力のない音楽になってしまっては元も子もない。フィナーレでオケが奮発して熱気を出したことだけが救い。つくづく無能な指揮者である。
 コーエンはこんな伴奏で可哀そうだったが、アシュケナージはテンポをいじるタイプの指揮者ではないため、ソリストの音楽を邪魔してはいなかった。コーエンのチェロは大変に清新で、正直申し上げて手垢が付いているこの曲を、見事にリフレッシュしていたように思う。変なことをせずに、「手練手管」を排して真っすぐ奏楽を「楽しんで」いたようで、聴いていて気持ちがいい。音楽に「挑む」という悲壮感から解放されているのがポイントかな。なお、アンコールで弾いた《夏の思い出》に特に違和感がなかったのも、彼のこの音楽性によるところが大きいのかも知れない。いや、日本の歌を外人が演奏すると、コブシの利き方が何となく変なことが多いもので。