不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

アンネ=ゾフィー・ムター ヴァイオリン・リサイタル

第17回神奈川国際芸術フェスティバル/音楽堂ヴィルトゥオーゾ・シリーズ第5弾
15時〜 神奈川県立音楽堂

  1. ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調 op.100
  2. ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト長調 op.78 「雨の歌」
  3. ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 op.108
  4. (アンコール)ブラームスハンガリー舞曲第2番
  5. (アンコール)ブラームスハンガリー舞曲第1番
  6. (アンコール)ブラームス:子守唄
  7. (アンコール)ブラームスハンガリー舞曲第7番

 最初のうちはエンジンがかかっていないように思われたが、次第に調子を上げ、ヴィブラートをたっぷりかけた、濃厚な世界を現出。特に1番は、引き崩し寸前までえげつなく隈取を付けており、上品と下品の境界に挑んでいたように思われる。演奏会通してダイナミック・レンジも広く取っていて、テンポも含め緩急の激しい演奏であった。各楽章の主題の連関性も強調する解釈を採用しており、すんなりやり過ごす曲想は何一つなかったと言って良い。
 全曲共にかなり微に入り細を穿った表現で一貫しており、ここまでやると普通は「神経質」「細かい」「マニアック」「暗い」といった印象を受けそうなものだが、そうならないのがムターの凄いところである。聴き終わった後には、まず最初に「骨太」という感想が出て来るのだ。細部のニュアンス付けは大雑把ではないのに(むしろ正反対)、曲の本質が鷲掴みして、恰幅の良い堂々たる演奏を展開するのである。そして結局は、濃厚な味付けのずしりとした音楽を聴いたという実感が残るのである。綿密な譜読みの賜物なのだろうが、ムターに備わった「華」もまた、これと同じぐらい影響しているように思う。曲が明るかろうが暗かろうが、彼女の解釈がいかに強烈なものであろうが、演奏会の雰囲気を「華やか」にする――単にネアカな気分にさせるというものではなく、前向きな気分で会場を後にできるという意味で「華やか」と言っているのだが――才能は、天性のものだと思う。彼女がヴァイオリンの「女王」と称されているのは、このためなんじゃないかな。
 なお、伴奏のオルキスも本当に素晴らしかった。ムターの解釈は、一歩間違えると恣意的と言われそうな癖の強いものなのだが、これにピタリと寄り添って、陰陽の隈取りが鮮やかな演奏を聴かせていた。二人が長年コンビを組んでいるのも理解できる。
 当日のアンコールは4曲。いずれもノリノリで弾いていて、本番のソナタとは異なるキャッチーなメロディーに溢れていることもあり、会場も大いに沸いていた。このアンコールを聴きながら思ったのだが、彼女は特段「テクい」と思わせるような演奏をしていない。やろうと思ったら可能なのだろうが、綺麗に整っているが鋭い美音を出すよりも、艶やかで骨太な音色をもって曲想を抉ることが、彼女にとっては第一義なのではないか。恐らく、特にハンガリー舞曲に関しては、ムター以上にテクい演奏をやるヴァイオリニストはいるはずだ。それもたくさん。しかしムターは敢えてこの道を選択したのだと私は解釈したい。ブラームスの世界を堪能したという想いが強く残る。演奏態様はどうあれ、それだけで「勝ち」なのである。