不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

ミレニアム3/スティーグ・ラーソン

ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士 上

ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士 上

ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士 下

ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士 下

 重傷を負ったリスベットは、現場に駆けつけたミカエルの手配で病院に送られ、一命を取りとめる。だが、彼女の事件は、公安警察の特別分析班の元班長グルベリに衝撃を与えた。特別分析班は、政府でも知る人の少ない秘密の組織で、ソ連のスパイだったザラチェンコの亡命を極秘裡に受け入れ、彼を匿ってきた。今回の事件がきっかけでそれが明るみに出れば、特別分析班は糾弾されることになるからだ。グルベリは班のメンバーを集め、秘密を守るための計画を立案する。その中には、リスベットの口を封じる卑劣な方策も含まれていた……。

 上記は粗筋の一部抜粋&一部改編です。
 本書3は1・2に輪をかけてドラマティックだ。リスベットが出生時から巻き込まれていた国家による権力濫用をベースに、老人が(敵側だけど)奮闘する謀略小説と、刑事訴訟に精通していない女性弁護士が頑張るリーガル・サスペンスが展開される。そしてもちろんリスベットはハッカーとして、ミカエルは正義のジャーナリストとして大活躍するのである。冷戦の後始末という性格も有しているのが特徴で、国家規模のスケールと、歴史が強く影響している。さらにはリスベット個人のドラマでもあって、テーマのレンジがかなり広い。よってここに深入りすれば、歯応えのある重厚な小説になっただろうが、スティーグ・ラーソンはあくまでエンターテインメントに徹している(その意気や良し、と評価する人はとても多いだろう)。魅力的な登場人物が大勢登場し、様々に思惑を交錯させるのだが、対立構図自体はシンプルで、味方は気持ちの良い奴揃いである一方、敵には悪辣な人物や怪物が多くあまりシンパシーを得ることはできないだろう。彼らを撃滅したところで後腐れはほとんどなく、読者としては敵を一方的に諸悪の根源と見ておけば良い親切設計である。とはいえ、過剰に悪人視されていないのも特徴で、謀略小説シンプルな対立構図が読者の素晴らしいテンポとリズムでダイナミックなストーリーを織り成し、終始面白く読める。「とても面白く読める」と言っても良い。恐らく本書・本シリーズには絶賛の嵐が吹き荒れることになるだろう。
 しかし若干の疑念を呈しておこう。
 まず、識者がよく指摘する本シリーズの多様な構成要素(本格/血の悲劇/謀略小説/リーガル・サスペンス)だが、バラバラにして個々に検証すると、それぞれは極めて単純・単調である。手の込んだ推理、手の込んだ悲劇、手の込んだ謀略、手の込んだ法廷闘争は皆無なのだ。ただし抜群のストーリーテリングにより、全てはとてもうまく混交されている。その成果は確かに目覚しい。しかしだからといって世紀の傑作と認定するのはやり過ぎだと思うのである。暴言を許されたら、私はこのシリーズを「とてもうまいパッチワーク」と呼ぶことになるだろう。ぶっちゃけ、上巻の前半と下巻の後半だけでも立派に作品として成立すると思うのだ。その間が中だるみを起こしているわけではなく、先述のように終始面白い。しかし必要不可欠な部分が少ないのである。もしくは、そこだけで独立して面白く、他の部分との有機的なつながりに欠けるのだ。
 次に、ヒロインの性格の特異性を鑑みてもなお、作品内での葛藤が弱過ぎる。特に、敵味方の別が善悪の別とほぼ一致する点は、いかにエンターテインメントとはいえ、社会問題に踏み込んだ小説としてはお粗末である。読了すればすっきり爽快となるのもよく考えれば問題ではないか。日々の憂さが晴れて行くような感覚が味わえてまことに快いのだが、しかしこれでは後に何も残るまい。
 素晴らしい作品であることは間違いないが、同時に、看過できない欠点も持つ。それが『ミレニアム』三部作である。作者がキャリアを積めば、あるいはこれらの欠点は克服されたのかも知れない。作者の早過ぎる死を悼みたい。