不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

年間日本SF傑作選 超弦領域/大森望・日下三蔵編

超弦領域 年刊日本SF傑作選 (創元SF文庫)

超弦領域 年刊日本SF傑作選 (創元SF文庫)

 2008年に出た短篇のベスト・アンソロジーである(刊行は2009年6月)。結論から述べれば今回もクオリティは極めて高く、バラエティ豊か。日本SF界の実力を示す素晴らしいアンソロジーである。しかし序文で日下三蔵氏が吐露するように、主力中の主力であり続けるはずだった作家で、現に『超弦領域』においてもトリを務めている伊藤計劃を、我々は2009年3月に失ってしまった。失ったもの=これから書かれるはずだったいくつもの傑作を考えると、日下氏ならずとも目眩がして来るが、気を取り直して各篇の短評をば。それにしてもよく考えると、このアンソロジーは《ノックスの十戒》に始まり、007に終わっている。SFアンソロジーなのに、最初と最後だけ取り出すと、まるでミステリ・アンソロジーのようだ。たぶん偶然だろうが、面白いこともあるもんです。
 巻頭を飾るのは、法月綸太郎「ノックス・マシン」である。時間SFだが、テーマは《ノックスの十戒》という珍品で、時間SFとしてのストーリーは非常にシンプルなものだが、意匠やら設定やらが完全にギャグ。これは楽しい。なおこの短篇は、雑誌掲載時にSF界隈では話題になったが、ミステリ界隈ではあまり話題にならなかったと記憶する。法月綸太郎はミステリ作家であるうえに従来SF作家だとはほとんど認識されてこなかった。ミステリ・ファンとしては忸怩たるものがあるが、この作品を「あの法月綸太郎が《ノックスの十戒》テーマで書いた」という事実以外でミステリとして評価するのはなかなか難しい。収まるべきところに収まっているということか。
 お次は林巧「エイミーの敗北」。一つの世界を管理する集合的無意識エイミーが、世界のゲートを訪れた謎の男にあろうことか敗北してしまう、という物語である。視点人物はエイミーの世界の住人で、エイミーと共に入国管理官のような仕事をしている。幻想小説サイエンス・フィクションの中間のような肌合いが印象的な一篇である。
 樺山三秀「ONE PIECES」は、フランケンシュタインの怪物を思わせる、死体を繋ぎ合せて作られた怪物が現代に現れる話だが、随所に『フランケンシュタイン』の作者メアリー・シェリーのエピソードが挟まれる。怪物の動静に触れたパート(明らかに現代社会である)と、シェリーにかかわるパートの時系列が混濁しているのが特徴で、幻想味と寓話性を高めている。
 小林泰三「時空争奪」では、河川はどこから始まるかというネタを時間SFに当てはめるというぶっ飛んだアイデアが楽しめる。アイデアの新奇さとしてはアンソロジー中これが一番だろう。『鳥獣戯画』の変容からグロテスクな光景が広がっていくのは、いかにもこの作家らしい。
 津原泰水「土の枕」は、先の大戦に絡んで数奇な人生を歩む男の物語である。作者によると何と実話ベースらしい……が、そこはこの作家のこと、どこまで本当かわからない。端正な擬古的文章が美しく、この文章には誰も勝てないだろうと思わせる。純SFとは言えないだろうが、短篇小説としては本書一、二を争う完成度だと思う。
 藤野可織胡蝶蘭」は、生き物を攻撃する能力があるっぽい胡蝶蘭を自宅で育てる話。ただし直球のホラーやSFではなく、純文学寄りの幻想小説という風格を湛えている。落ち着いた風情の端正な小説だが、この胡蝶蘭が何かのメタファーであることはほとんど間違いない。しかしそれが何かは読者によって千差万別だろうし、むしろ個々の解釈に委ねるのが正しいのではないか。もちろん単純に綺譚として楽しむのも可。
 岸本佐知子「分数アパート」は、小説ではなく日記。しかしどう見ても嘘日記である。何せ弟が腰から生えていたりするのだ。その他たった10ページ強の中で、珍妙なエピソードが何ということもなく交錯する。奇怪な日常の断章を綴った小説として読めるが、微妙に可笑しいのがいい感じだ。
 石川美南「眠り課」は、眠り課という部署がある会社を舞台とする連作短歌である。歌には縁のない人生を送って来たこともあり、歌としてではなく、情感を主体に読むべき短篇として読んだ。それでも結構面白い。そういう読み方も、この連作短歌は許容してくれたということであろう。
 最相葉月「幻の絵の先生」はエッセイで、『星新一 一〇〇一話を作った男』取材時のこぼれ話である。と言っても、星新一の絵の先生がひょっとすると異母兄だったんじゃないかという大ネタなんですけどね。残念ながら結論が出ないままエッセイは終わってしまうのだが、我々読者の印象に残るのは、星新一の父・星一が謎に包まれている、ということである。
 Boichi「すべてはマグロのためだった」は、マグロのために全てを賭けた男の生涯を描いたSF漫画である。笑える法螺話というのが基本線だが、どんどんスケールが大きなって最後はあろうことか感動的になる。こういうのは大好きです。なお著者のことばが熱くて、Boichi個人にも好感を持ちました。コミックも買おうかな。
 倉田英之「アキバ忍法帖」は、山田風太郎忍法剣士伝』のオタク的変奏である。近づく男は皆射精してしまうという薬品を人気女性声優がかけられてしまい、サイン会場に居合わせた強者のオタクたちから狙われるようにあって秋葉原を逃げ回る……という作品。不勉強ゆえ『忍法剣士伝』は読んでいないのだが、元ネタ知らなくても大丈夫、めちゃくちゃ笑えます。下品かつキモいけど。内藤泰弘のイラストもいい感じ。残念なのは、もの凄そうなオタクを12名も登場させながら、実際にオタク道具を使って殺傷術を見せるのがわずか2名ということ。短篇だから諦めるべきかも知れないが、長篇化してくれないかと思うのは私だけではないはず。
 堀晃「笑う闇」は、ベテランの技が光る一篇。元漫才師と漫才ロボットがコンビを組んで漫才をするのだが、その顛末を全てが終わって数年後に、梅田の地下街の汚い飲み屋で関係者同士が語り合う、という構図が絶妙なペーソスを出している。基本的にはシンプルな話だが、「ロボットは笑いを理解できるか?」というテーマに挑んだ作品としても読めて、とても面白い。敢えて作品に余裕を残して、落ち着いた雰囲気を醸し出しているわけである。
 小川一水「青い星まで飛んでけ」は、ホモ・サピエンスの後裔を名乗る機械知性エクス――彼は直径100キロの球状に散らばる二千隻の宇宙船(誰も乗っていない模様)から成っており、彼自身=一種族である――の遍歴を描く。エクスはそれなりに凄い知性体なのだが、意識のありよう(描写のありよう)は完全に成長途上の少年のそれで、そのギャップに萌えるのが正しい鑑賞法である。半分以上本気です。下位機械群の軽い会話もアクセントになっている。しかしさすがは小川一水、最終的に示されるヴィジョンは壮大なものであり、立派にアーサー・C・クラークへのオマージュになっている。オーバーロードが登場するのも、クラーク・ファンには嬉しいところだろう。
 円城塔「ムーンシャイン」は、ハードSFとして本アンソロジーのために書き下ろされた作品。登場人物が何をやっているかは辛うじて理解できるし、とてもリリカルなボーイ・ミーツ・ガールのような気もするが、基本的には何を書いているのかさっぱりわからない。お手上げです。しかしそれでも滅法楽しいのは、円城塔の不思議極まりない特徴といえよう。なお数学における“群”と言われてもよくわからない人は、巻末の大森望の用語解説を先に見ておいた方がいいかも。
 伊藤計劃From the Nothing, With Love」は、恐らく彼が完成させた最後の小説である。主人公はどう見ても007だ。そして「007は一人の自然人ではなく、ナチスの書物から人間にダウンロードされるソフトだった」という衝撃的なSF設定がなされている。そして話は長篇『ハーモニー』でも中心に据えられた「意識」へと転がって行く……。テーマの掘り下げは『ハーモニー』と同等かそれ以上。しかも主人公が抱える底無しの虚無が、作品テーマと見事にシンクロする。傑作。