不壊の槍は折られましたが、何か?

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鬼の跫音/道尾秀介

鬼の跫音

鬼の跫音

 道尾秀介の最新短編集。幻想小説のタッチを駆使している作品が多いのも特徴だが、やはり最大の特徴は、従来《救い》を追求してきたこの作家が、登場人物を奈落の底に突き落とすことを厭わなくなった点であろう。話がプラスマイナスどちらにも振れるのだから、読者としては結末を予測しがたくなった。これは今後、道尾秀介の大いなる武器になるのではあるまいか。
 十数年前のSさんの転落死について妻子もちの男が述懐する「鈴虫」は、巧みな語り=騙りが光る一編だが、これはまだ序の口である。続く「犭(ケモノ)」*1では、家族から白眼視されている少年が、迷い込んだ蝶に導かれて、刑務所作業品の椅子の足に彫り付けられていたメッセージの元を辿る。鬱屈した魂の逍遥が描かれているが、実は――という構成が見事である。読み返すと面白いだろう。「よいぎつね」では、二十年前逃げるように町から出て行った男が、久々に町のW稲荷を訪問する。主人公によって過去の出来事が柔らかい質感をもって語られるうちに、非常に悪夢めいた結末が立ち現れる。既存の単行本ではあまり顕在化していなかった、ホラー作家・幻想小説作家としての道尾秀介の腕が、ここで示されていると考えることもできよう。その点では集中、最も注目すべき作品かもしれない。
 アパートに緊張しきった様子の青年がやって来て、二ヶ月前の泥棒は自分のやったことだと謝ってくる「箱詰めの文字」は、泥棒に入られた覚えのないアパートの住民との珍妙なやり取りから開始されるものの、意外な事実がつるべ打ちで明らかにされ、盛り上がる。雰囲気が次第に澱んで来るのも素晴らしい。その次は「冬の鬼」が来る。女が書いた手記を一月八日から逆に読んで行くことになるが、段々様子がおかしいことがわかってくる。最後まで読んでもう一度一月八日の記述を読み返すと、趣旨の把握に惑うことができて楽しい。現代の女性の口調としてはちょっと仰々しい語り口も、雰囲気に合っていていいのではないか。最後の「悪意の顔」は、小学生の主人公が、ごみ屋敷に住んでいる奇妙な女性との出会いを通して、自分に性質の悪いいたずらをしてくる同級生を何とかしようとする物語である。この短編は道尾秀介の既存作品とイメージが近いが、幻想性を強調しているのはやはりちょっと軸が違うなと思わされる。でも普通にミステリとして落ちており、ラストで真相をわざとぼかして書いていることも、効果をあげている。本筋には関係が薄いけれど、主人公のクラスの教師は、自分のジョークが受けなかったときにはヒステリーを起こし生徒に次々無茶な質問をして、答えられない生徒を立たす。実に素敵な性格で、物語に華を添えている。
 全編に共通するのは、一人称であること、必ず「S」という男が実にイヤな役割を背負った奴として登場すること、そして鴉が不吉な象徴としてどこかで言及される点である。各編のSはそれぞれ全くの別人と思われるが、このSと鴉が、短編集全体に実に不気味な統一感をもたらしている。
 ときに野心的ですらある各編での試み、その完成度、そして暗いタッチは、いずれも道尾秀介にとってみても最高水準の仕事ではないだろうか。強くおすすめしたい。

*1:機種依存文字と思われるが、ここにはけものへんが書かれています。