不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

シカゴ交響楽団来日公演(東京1日目)

サントリーホール:16時〜

  1. マーラー交響曲第6番イ短調《悲劇的》

 本当に何も足さない何も引かない演奏で、大変素晴らしいお手前だった。「何も足さない何も引かない」というのは、実は鬼のように難しい。「何も足さない何も引かない」という表現は、「頑固」「禁欲的」「謹厳実直」「ひたむき」など、実際には「それを足してるじゃねえか」という演奏にもよく使われてしまう。しかし、ハイティンクに限ってはこれすらない。単にしっかりかっちり演奏しているだけなのであり、足しているとすれば単に「実演ならではの熱」だけだったりするのだ。巨匠風とギャアギャア騒がれることに繋がるリズムの溜めや重さすら排斥している。どんなオケでも各パートが綺麗に聞き分けられるよう調整することすら、ハイティンクにとっては演出に過ぎないのではないか。腕っこきのシカゴ交響楽団だから聞き分け可能だったわけで、恐らくハイティンクは主旋律とそれ以外をはっきり分離させて聴かせようという意向はさして持っていないように思われた(でも主旋律だけを重視する某アイスランド人指揮者のような無能ではない)。彼こそ真にストイックな指揮者なのではないかと、今日ほど感じ入ったことはない。正直第一楽章とスケルツォは若干単調だったのだが、これは最早曲のせいですらあるのかも知れない(リズムが一定ですからな)。
 本音を言えば、「感動」したとは言いかねる。しかし、この演奏を前にして感動したしないを問題にしても何の意味もないと思うのだ。ぶっちゃけ、「感動」自体がパフォーマーの得手勝手な演出に乗せられた結果に過ぎないような可能性すら、視野に入れざるを得ないほど、今日の演奏は説得力に溢れていたのである。
 シカゴ交響楽団はやはり素晴らしいアンサンブルである。ホルン首席のグレベンジャーは、過去には素晴らしい奏者だったのだろうが、現時点でははっきり申し上げてシカゴ響の平均点を押し下げる癌でしかない*1。ペットもちょっとだけポカしていたし、弦の縦の線がちょっとだけ乱れる場面もあった。しかし、それでもなおこの交響曲を全体としては余裕を持って弾き切る辺り、日本のオケでは太刀打ちできないと思われたのである。
 今日の演奏では、緩徐楽章とフィナーレが(曲想自体が変化に富んでいること+時間が経つにつれ演奏者側のテンションが上昇してくることにより)特に素晴らしかった。今日は第一楽章→スケルツォ→緩徐楽章→フィナーレの順番で演奏されたのだが*2、後半二楽章が素晴らしかったので、客席も大いに盛り上がりました。みなとみらいではなかった一般参賀が1回おこなわれました。
 事前の情報ではチケットが余っており、特別協賛の野村證券の関係者にチケットがばらまかれているのでは、とのウワサすら流れたが、実態はどうか知らんがとりあえずほぼ満席で、しかもマナーが大変に良かった。フィナーレでも、ハイティンクが指揮棒を下ろすまで誰も拍手せず。演奏に打たれたのか否かはともかく、いい聴衆の時に当たって私も幸せです。

*1:ただし、在京プロオケのどのホルン首席と比べても、グレベンジャーの方が上手いことは申し添えておきたい。……正確に言うと、ちゃんと音楽になっているのだ。

*2:最近のこの曲の演奏動向では、スケルツォと緩徐楽章のどちらを先に演奏するかが、演奏者によって分かれている。私が実演で聴いた中では、アバドルツェルン祝祭管が順序逆でした