不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

ファミリーポートレイト/桜庭一樹

ファミリーポートレイト

ファミリーポートレイト

 ママの名前はマコ。だからあたしの名前は、コマコ――そう教えられて、コマコとマコは貧しい生活をしながら各地を放浪する。どうやら母娘を父親が追っているらしいのだが、幼いコマコにはよくわからない。学校にも行かず、他の手段でちゃんと教育を受けるわけでもなく、(ぼかされているが)虐待まで受けていて、それでもコマコは何も疑問を抱かず、母親を愛しているのだった。しかしやがてマコとコマコの別れがやって来る……。
 同一ミステリ年度内に発表された『赤朽葉家の伝説』と『私の男』での家族というテーマ、そして作家・桜庭一樹がデビュー以来ずっと追求してきた「少女」を集成した、大作である。母親マコはコマコにとって至高の存在であり、いわば《神》だ。少女時代に別離することにより、記憶の美化でもおこなわれたのか、この傾向は一層強まっている。しかしこれはメンヘル小説ではない。トラウマやコンプレックスはどうあれ、コマコは強く生きていき、「少女」から「女」に変わって行くのである。性的な事項にも遠慮なく踏み込んで、主人公の混濁した情念のようなものを抉り出している。ただし代わりに、恋人への想いはさほど強烈に描かれていない。友情などの要素も希薄である。本書はあくまで「コマコの物語」であり、「コマコと○○の物語」には決してならない。中心に据えられるのはコマコの想念であって、例外があるとすればそれは母親マコのみだが、彼女もまたコマコという視点のフィルターを通してしか解釈されていない。私はこの母親から、リアルな登場人物ではなく、一種の概念のような感触を得た。その概念を作ったは、もちろんコマコである。
……ここで大変な失礼を承知で言えば、エッセイ類から感じられる、桜庭一樹自身のやや不思議系が入ったパーソナリティが、コマコから非常に強く感じられるのである。物語は終始真面目に進行するが、いつも現実感が希薄で、ふわふわして、つかみどころがない(だから深刻な幼年期も、過度に暗くならないというのはある)。だが眼差しの鋭さと、ものの見方については、感じ入らざるを得ない。まさに桜庭一樹そのものではないか! もちろん作者は、ここまで波乱万丈な生活は送っていないだろうが、かなりの部分が肉声ではないかと思わせる。そしてこの時点で、作者の勝ちなのである。
 やがてコマコは人気作家になり、権威ある文学賞を受賞する。本書は終盤で、創作がコマコにとってどういうことかを描く小説に転化していく。こうなると、完全に桜庭一樹自身の物語ではないかと思うのが人情である。さまざま読者がサイン会にやって来るのを見て、コマコは自分の本が未知の人々に読まれていることを実感する。ここでコマコは、読者に関して「あたしのような人たち」「どの顔も初対面で、しかし、ひどく懐かしいのだった」という印象を抱く。ここら辺の読者への目配せは、非常に憎いものがある。
 というわけで、本書は桜庭一樹の現時点における集大成である。ファンは必読。でも個人的には、この後に何を出して来るのかに興味があります。