不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

サラマンダーは炎のなかに/ジョン・ル・カレ

サラマンダーは炎のなかに〈上〉 (光文社文庫)

サラマンダーは炎のなかに〈上〉 (光文社文庫)

サラマンダーは炎のなかに〈下〉 (光文社文庫)

サラマンダーは炎のなかに〈下〉 (光文社文庫)

 イギリス人のマンディは、学生運動の盛りであった1960年代に西ベルリンに渡り、そこで学生セクトのリーダーであったサーシャを危機から救う。その後、英国文化振興会で働くようになったマンディの前に、スパイとなったサーシャが現れた。その後10年ほど、彼らは二重スパイとして協力し合う。しかしベルリンの壁が崩壊し、彼らは別れを迎えた。時は流れ、ドイツで観光ガイドをやって過ごすマンディの前に、再びサーシャが姿を現した。
 元スパイが新たな時代に《何か》を求める、という物語である。作品全体の構図は、ポスト冷戦時代のアメリカ一極集中型の世界に対して、元学生運動家にして元スパイ(つまり、冷戦時代の残滓)が苛立ちを表すというもので、特に後半はそれが顕著になる。60年代の学生運動、冷戦下のスパイ活動も詳しく(または活き活きと)描かれており、ポスト冷戦時代の場面の静的な(そしてはっきり言えば、やや単調で退屈な)側面と対比をなしている。登場人物の描写も多面的におこなわれており、読み応えはたっぷりだ。
 しかし、往年に比べて、テーマに対するアプローチがかなり直線的なものになっているのは間違いない。かつてル・カレは、中心テーマを決してシンプルに指し示さず、散々に迂回し周回し、挙句の果てには余韻をもって語らせることも多かった。それが作品に香気をもたらし、作者自身のステータスを押し上げていたのである。当時と比べると、本書はやや単純なきらいがある。ラストも、普通の作家の水準から見れば、まだまだ登場人物に対して素っ気ないとはいえ、『スクールボーイ閣下』の結末とかは、味気なさの余り虚無感すら漂わせていたのだが。この変化を、作者の老化と見るか、世界の変化ゆえと見るかは人それぞれであろう。全盛期のル・カレが見せた晦渋で抑圧された人間ドラマは、パクス・アメリカーナとその崩壊期に当たるゼロ年代には適さないのか……と考えると、なかなか興味深いことは確かである。