不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団来日公演(東京3日目)

サントリーホール:19時〜

  1. ハイドン交響曲第92番ト長調Hob.I:92《オックスフォード》
  2. マーラー:リュッケルトの詩による5つの歌(第1→3→4→2→5曲と、順番を代えて演奏)
  3. ベートーヴェン交響曲第6番ヘ長調op.68《田園》

 1曲目はラトルのターン、2曲目はコジェナー(ラトルの嫁*1)のターン。3曲目はラトル+ベルリン・フィルのターンでした。
 具体的に言うと、1曲目のハイドンは、さすがこの作曲家を得意としているラトルらしく、ピリオド・アプローチの溌剌とした清廉な演奏で大いに楽しみました。アクセントが軽めだったのも、いい味を出していたように思います。個人的な嗜好を言えば、ルネ・ヤーコプス指揮フライブルクバロック管による録音のような、もっとリズムをキツく取った演奏が好きなんですが、正直そんな糞くだらない要望を言う気にならないほど素晴らしい演奏だったと思います。オケも相変わらず馬鹿のように上手いしな。おまけに品を失わないという……。まさに「どんだけだよ!」という世界です。
 2曲目は、「すまん正直コジェナー舐めてた」と詫びを入れたくなるほどの歌唱を聴かせてくれました。後ろの席までクリアに声が届くうえ、感情移入も申し分なし。ベルリン・フィルも、声を超える大音響鳴らさないように注意しながら弾いていたのかなあ……。でもこの程度の音量でアウトだったケース、俺は何例も見聞してます。声がでかいというよりも、あくまでクリアに響いたという感じだったことは、しつこいようですが繰り返しておきたい。だからこそ凄いと言っているわけです。ラトル指揮ベルリン・フィルの伴奏もぴったり付けていて素晴らしいと思いました。これ位同調して初めて、オーケストラ・リートが真に輝くことを実感。ヴァイオリンの囁きとか、コール・アングレの哀しみに満ちた演奏とか、いやあこのオケ本当に素晴らしいなあ。音に陰影はないんですが、儚げな表情はしっかり出せていてグー。
 3曲目ですが、初めて「《田園》はメロディーだけではなく、リズムにも支配された曲」であることを実感できました。でもメロディーもたっぷり歌われて、レガート主体で滑らかな運びも実現しているという凄い演奏でした。全てがクリアかつ自然に鳴っているのも素晴らしい。これはラトルの解釈とベルリン・フィルの技量どちらも揃わないとなかなか実現困難な演奏だったと思われます。惜しむらくは、リテルダント気味にゆったり終結し指揮者がまだ棒を下ろしていないにもかかわらず、拍手を始めた高知能な聴き手がいたことです。もうちょっと余韻に浸っていたかったなあ。
 アンコールは今日もありませんでしたが、正直この《田園》の後に何かやられてもかえって迷惑かも知れず、ちょうど良かったと思います。
 ところで、今日もエマニュエル・パユが乗っていなかったのは残念でした。一緒に来日しているはずなんだけどなあ……。日によって首席フルート奏者が代わるのかしら。

*1:かどうかは知らんが、同棲して子供までいるまでのは確か。音楽雑誌のインタビュアーがラトル邸に行った時、お腹の大きなコジェナーが出て来て、ラトルが「僕らがこんな関係だったとは知らなかっただろう」と言ったのは有名な話。でもコジェナーがラトルとの関係をインタビューされるのを嫌っているのも有名な話。ラトルの左手薬指には指輪が光っていたし(コジェナーの左手は視認できず)、まあ本人同士は結婚していると考えているんじゃないでしょうか。