不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団来日公演(オケ単独公演)

東京オペラシティタケミツメモリアル:13時30分〜

  1. チャイコフスキー:スラヴ行進曲op.31
  2. ボロディン弦楽四重奏曲第2番より第3楽章《ノクターン》(弦楽合奏版)
  3. チャイコフスキー:大序曲《1812年》op.49
  4. プロコフィエフ:バレエ《ロメオとジュリエット》op.64より
  5. (アンコール)シューベルト:楽興の時第3番へ短調管弦楽編曲版)
  6. (アンコール)チャイコフスキー:バレエ《眠りの森の美女》op.66より《ワルツ》

 一般論というか巷間、オーケストラというのはどこもかしこもインターナショナル化し、固有の響きを喪失しつつある、ということがよく言われます*1。ロシアも例外ではありませんが、シモノフ指揮下のモスクワ・フィルはそれをよく残していると(ごく一部で?)評判になっていました。ですので以前から興味がありましたが、近年このコンビはフジ子・ヘミング、マキシム、羽田健太郎といった、私としてはあまり興味のないソリストを帯同すること――というか興行としてのメインは明らかにソリストで、どうやら前半が終わったら帰る客も少なくないらしい――が多く、チケット購入を躊躇ってきました。今年の来日もフジ子・ヘミングスミ・ジョーとの共演が組まれていましたが、幸いなことにオーケストラだけの単独公演もあったので、行ってみたものです。
 日曜お昼なのに、会場はガラガラでした。1階席の後ろ半分は本当に誰一人座っていなかったし、2階席もバルコニー含めて6割〜7割程度の入り。一番安い3階席のみ9割方埋まっていました。全部合わせても恐らく5割に満たない。恐るべき入りの悪さですが、ちょっと勿体ない。というのも、演奏内容は素晴らしかったからです。
 モスクワ・フィルは日本のオケよりはうまいですが、正直、金管を除くと圧倒的優位とまでは言えません。超絶技巧ではなく、木管も音が微妙に貧相であまりいい楽器を使ってないんじゃないかなと思いました。しかし皆本当にいいハーモニーを作っていて、その豪快なサウンドを堪能しました。コレは日本のオケからはほとんど聴くことができません。弱音があまりなく細かなニュアンス付けにもそれほど拘泥しない音作りでしたが、シモノフは音をきっちり出すことに重点を置き、金管と打楽器の強奏強打(これに加えて弦も木管も音がでかい!)、これにメランコリーと実演独特の熱気が加わって、重量級の雄渾な演奏が繰り広げられていました。これがロシア風の奏楽なのでしょうか。いずれにせよ、確かにこれはサンクトペテルブルク・フィル、サンクトペテルブルク響、モスクワ放送響(ロシアのオケで聴いたことあるのはこの3オケのみ)からも聴けなかったサウンドです。いやはや素晴らしい。
 メインはプロコフィエフでしたが、オケの技量とシモノフのグランド・マナーっぷりから見ると、ロシア関連ならチャイコフスキーや五人組、その他中後期ロマン派を聴きたかったと思いますが、これはあまりにも贅沢な悩み。いずれにせよ名演奏でした。ガラガラの演奏会でもこういうのがあるから、コンサート通いは止められないのです。客席も盛り上がって、最後はシモノフを一般参賀で呼び戻していました。
 このシモノフ、アンコールでは《ワルツ》の序奏後(聴いたらわかりますが、勢いのいい、かなり豪壮華麗な序奏です。)に長めのインターバルを置いて、「どうだい?」てな感じで客席を振り返るパフォーマンスを披露。エンターテイナーという奴でしょう。

*1:これが真であるか否かには慎重な検証を要するでしょう。このような発言をする人々が言う「固有の響き」とは何かが、大抵の場合判然としません。録音≠実演で聴ける音、人間は昔の記憶を美化する等、考慮を要する事項はたくさんあります。