不壊の槍は折られましたが、何か?

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聖女の救済/東野圭吾

聖女の救済

聖女の救済

 このエントリを書くため、はまぞうで「聖女の救済」を検索したら、一番上にワーグナーの《パルジファル》(クナッパーツブッシュ盤)が出て来た。この楽劇*1に出て来る女性は聖女じゃないんですけど……と思ったのだが、よく考えてみるとその点では東野圭吾『聖女の救済』も同様である。
 IT会社社長の真柴義孝は、子を授からないことを理由に、妻の綾音に離婚を申し渡した。彼女は冷静に承諾の意を示しつつ、密かに夫の殺害を決意する。そして義孝は、自宅で愛人の若山宏美と一緒にいる時に毒殺された。草薙刑事は宏美を第一容疑者として追うが、殺害方法がわからない(!)ので決め手に欠いていた。一方、新人刑事の内海薫は、妻の綾音に疑いの目を向ける。しかし綾音には鉄壁のアリバイがあったのである。
 湯川準教授が登場し、草薙刑事や内海刑事と共に捜査に当たる《ガリレオ》シリーズの最新長編である。本格ミステリとしては一発ネタに近いが、インパクトがなかなか大きいので、短編で消化するには勿体ない。よって長編にしたのは正解である。ただし「難易度の低い」本格なのは間違いなく、異なる手法を組み合わせたりは一切していないため、『容疑者Xの献身』に一歩譲っている。X論争の際は笠井潔野崎六助が「難易度の低さ」と共に「特に社会階級上の人権意識の希薄性」を問題視したが、『聖女の救済』も前者については格好の餌食となるだろう。しかし今回は「人権意識の希薄性」については難癖を付けることができない。登場人物間に社会階級の決定的相違は存在せず、批判の立脚点が奪われているためだ。人権意識が東野圭吾にないから本格ミステリとしての難易度が低下した、と因果関係を捏造して*2非難する勢力に対し、本書は当該因果関係が成立しないことを証明したといえるだろう。難易度の高低は、人権意識とは無関係なのである。
 なお『容疑者Xの献身』と『ガリレオの苦悩』を通過したことで、本シリーズは、事件関係者の内面だけではなくレギュラー陣のそれにも踏み込むようになった。『聖女の救済』において草薙刑事は綾音に仄かな好意を抱き、その目の眩みゆえに宏美の方を第一容疑者に据える。だがその行為の後ろ暗さに、草薙は自分でも気が付いている。そして内海は、先輩刑事のこの心情を鋭く読み取って、これはまずいと単独で綾音の方を調べ、湯川にも今回の草薙の「危うさ」を明かしつつ推理を頼むのだ。というわけで、今回は捜査側のトリオにちょっとした緊張感がある。本書を長編小説として牽引している隠し味は、この緊張感である。シリーズ読者にはまたとない贈り物ではないだろうか。
 というわけで、今回もオススメの作品に仕上がっている。やはり東野圭吾はうまい。大変にうまい。
……以下、どうでもいい閑話。
 綾音は聖女というよりも、《パルジファル》の唯一の女性登場人物クンドリに近いのではないか。何故なら二人共、「呪われている」からである。また、クンドリはアンフォルタスを傷付け、綾音は義孝を害した。アンフォルタスと義孝は全然違うものの、彼女たちの行為には近似性がある。最後に「救済」が、一般的には当人にとっては不利と思われる手法によることも共通している。クンドリには「死」をもって。では綾音に対しては――というのは、読んで確認して欲しい。

*1:正確には違いますが。

*2:その背景には、社会階級の存在を問題視するという、それ自体はまことに美しい政治的主張をしたいがために、何事にもそのテーマを無理矢理見出して主に「批判」という形で指摘する、という救いがたいほど醜悪な性向がある。