不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

セメント樽の中の手紙/葉山嘉樹

セメント樽の中の手紙 (角川文庫)

セメント樽の中の手紙 (角川文庫)

 一緒に書店に行った知り合いにオススメされ、購読したもの。200ページないとはいえ今時400円未満とはさすが古典文学。何でもプロレタリアート文学の代表作らしいです。
 ダム建設現場で働く男が、セメント樽の中から手紙を発見する。そこには、このセメントにまつわる悲劇的な出来事が書かれていた……という表題作を含め、主に貧しい労働者階級が出て来る短編が8編並ぶ。
 セメント製造装置に間違って工員が落ちてしまい、肉体がセメントにまぜこまれてしまいました、というだけの小説、おまけにわずか6ページなのに、非常なインパクトを読者にもたらす。セメントに混入した男の恋人の悲痛な嘆き、樽を受け取った労働者の共振が、この本当に短い小説に紛れもなく、強く、鮮やかに刻印されている。この際だ、プロレタリア云々を一旦無視しても構わない(でも後でちゃんと戻って来いよ)、悲痛な死体損壊譚と考えれば、ミステリ・ファンや奇想小説ファンも十分楽しむことができるだろう。なおグロなシーンは直接描かれませんので、そういうのがダメな人も安心して召し上がれ。
 他の作品も粒が揃っている。色々崖っぷちな手法で日々の糧を得る「淫売婦」、かの有名な『蟹工船』への影響が見て取れると同時にジェラルド・カーシュ辺りが同趣向の作品を書いていてもおかしくない「労働者のいない船」、タイトルそのまんまの「死屍を食う男」の3編は特に、娯楽小説を主に読む人々への訴求力があって面白い。全体的に下層階級のやり場のない苛立ちが顕在化しており、諦念などという乙に澄ました生易しい感傷を軽視しているのが特徴だ。その中で「濁流」で示される、労働に幻視された仄かな希望の灯火がまことに印象的であった。
 というわけで、200ページ未満なのに非常な満足を得ることができた。オススメいただいた方には感謝申し上げたい。