不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

詩羽のいる街/山本弘

詩羽のいる街

詩羽のいる街

「ねえ、これからデートしない?」会ったばかりの人間にこう語りかける若い女・詩羽は、金を一切持たず、住所も不定だったが、街の人々には不思議と信頼されていた。彼女と知り合った人間は、彼女のペースに巻き込まれるうちに、自分にとって大切なものに気付いていく……。
 東京にほど近い賀来野市を舞台にして、ヒロインの詩羽を巡る、四つのエピソードが語られる。各エピソードは作中の時系列順に並べられており、関連性も明認できるため、一種の長編と解釈することも可能である。
 人々との交流を愛する詩羽は、皆が笑って楽しく過ごせる社会を目指し、街の人々を巻き込みながら、賀来野市における理想を明るく元気に追い求める。これが本書最大の特徴だ。既に第一話の段階で、賀来野市民の一部では、物々または労力の交換制度が確立しているのだ(だから詩羽は金銭を持たずに過ごせる)。この制度は市民同士の良好な信頼関係が基盤とするが、コミュニティ形成の立役者が詩羽に他ならない。このコミュニティには笑顔と活気が絶えず、彼らは各々の夢を実現するため助け合い、互いにポジティブな影響を与え合う。理想的な互助関係がここにある。そして詩羽はこのコミュニティの方法論とメリットを、極めてロジカルに、説得力たっぷりに打ち出すのである。この理屈をトレースするのが、本書の読みどころの一つといえよう。しかしコミュニティにとって詩羽の才以上に重要なのは、理想を諦めず決してひねない、健全にして明るく強い詩羽の心そのものなのである。
 私事で恐縮だが、近い時期に読んでいたのが伊坂幸太郎『モダンタイムス』だったため、『詩羽のいる街』は非常に興味深く読んだ。『詩羽のいる街』の登場人物は、逃げることもせず、諦念を覚えることもなく、皮肉な視点から物事を見るわけでもなく、カッコいい科白のセンスに頼らずに、前向きの姿勢と人間への信頼を最後まで維持する。『モダンタイムス』のように読者を考えさせるのではなく、元気を与えるような小説であり、非常に心地よく読み通すことができるのである。
 とはいえ、山本弘は人間に対して絶大な信頼を置くタイプの作家――もっと言えば、能天気な作家――ではない。断じてない。不信感の塊とまでは行くまいが、人間性を礼賛することには相当の抵抗を感じるのではないかと思料する。そしてその影は、本書においてもはっきりと刻印されているのだ。
『詩羽のいる街』には空想科学も、超現実的な事項も全く起きない。その点では普通小説とすら言えるだろう。しかし山本弘自身は本書をSFと捉えていて、その理由がすこぶる振るっている。このような理想的かつ論理的な互助関係が成り立つことは絶対にない、ゆえにこの小説はSFなのだそうだ。これは非常に醒めた認識と言え、我々読者を爽やかな気分にさせる詩羽たちの生き方とは、まさに真逆の認識を、こともあろうに作者自身が持っているのである。なんと皮肉なことだろう! そしてこれが全てが幻想なのであれば、全四話で提示された「いい話」は全て嘘、あり得ないほど非現実的な物語ということになる。虚しいことではないか。
 各話の重要な結節点となる架空の漫画『戦場の魔法少女』も見逃せない。内容が詳述されるのは第二話だが、この作中作で渦巻くのは明らかに、世界と人間に対する絶望である。これが作者の本音であるという証拠はどこにもない。ないが、作者自身の認識を知ると、何だか意味深である。
 というわけで、徹底的に「いい話」ではあるが、その裏に隠された諦念と絶望の深さにも目を向けると、より立体的な読書が楽しめるのではないか。物語中にばらまかれた、SFネタやヲタクネタにニヤリとすることもできる(まあこれは純粋なお遊びだろうが)。強くおすすめしたい。