不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

極限捜査/オレン・スタインハウアー

極限捜査 (文春文庫)

極限捜査 (文春文庫)

 1956年、東欧某国首都で民警殺人課捜査官を務めるフェレンク・コリエザールは、ガス自殺したとされる元美術館長の死の捜査を担当させられる。折りしも、フェレンクは美人の妻・マグダと離婚の瀬戸際にあった……。
 東欧にあるとされる架空の国を舞台に、社会主義体制下で繰り広げられる懸命の捜査を描く。イデオロギーが全てに優先されるという社会の歪は『チャイルド44』などと同様であるが、本書はより実直な目線をもって刑事の誇り高き戦い(=人間ドラマ)に深く踏み込んでいる。当然人間描写は精度・深度ともに高く、あらゆる会話や交流が含蓄に飛んでいる。これは本当に凄い。また、主人公の刑事フェレンクは小説家としての顔も持っており*1、我々小説ファンにはある意味他人とは思えない。KGBからやって来た捜査官が主人公に向かって、私小説などというつまらないもの書くな、人民が本当に読みたい本は、労働によって目標を達成するという小説だ、と説示する箇所は、怒りと涙なくしては読めない。プロットもなかなかに複雑で、本格しか読めない人を除けば、うるさ型のミステリ・ファンも納得の出来栄えである。
 中心テーマへの求心力、リーダビリティ、読者を巻き込まずにはおかない勢いといった点では『チャイルド44』に軍配があがろう。しかし本書は、テーマにのみ集中するのではなく、その周辺と登場人物の日常も精緻に描くことで、よりリアルな質感を生み出すことに成功している。落ち着いて読む分には、『極限捜査』の方が味わい深いはずだ。こうも言い換えられよう。コーヒー・酒・タバコなどは、子供に飲ませると嫌な顔をするはずである。しかし大人になるといつしかこれらが旨く感じられるようになるものだ。本書はこれらの嗜好品にも似て、苦く、辛く、煙たいものだが、秋の夜長に一人静かに読むにはまこと好適な作品といえよう。惜しいのは、舞台が架空の国であることで、このためにリアリティが無意味に下がっているように思われた。しかしこれはないものねだりかも知れない。いい小説であることは間違いない。おすすめする次第である。

*1:詩人を兼ねたアダム・ダルグリッシュを連想させるではないか!