不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

エヴァ・ライカーの記憶/ドナルド・A・スタンウッド

エヴァ・ライカーの記憶 (創元推理文庫)

エヴァ・ライカーの記憶 (創元推理文庫)

 1962年、タイタニック号沈没により妻を亡くした米経済界の黒幕ライカーは、遺留品を求めて海底捜索を開始する。この計画に関して記事執筆を依頼されたノーマン・ホールは、自らの過去――1941年当時、ハワイの刑事だったノーマンは、タイタニック号から生還を果たした夫婦からの「命を狙われている」という訴えに耳を貸さなかったが、その二人が惨殺されて詰め腹を切らされたのだ――との因縁を感じ、依頼を快諾。だが取材を続けるうちに、ノーマンはライカーの計画には裏があるのではないかと疑い始める。ライカーの娘エヴァもまた事故からの生還者だったため、ノーマンは彼女にヒアリングをおこなおうとする……。
 タイタニック号沈没事故を中心に据えて、陰謀渦巻くサスペンスと、殺人事件の謎解きをおこなう本格ミステリが、いずれも上質の水準を保ったまま交錯し、融合する。本書は基本的に登場人物が《真意》を明かさないから事情が複雑化しているタイプの物語である。ゆえに最初のうちは「何だかよくわからないが怪しい」と、何が《事件》なのかを探ることから始まると考えて良い。ノーマンのハワイにおける過去の事件も、ライカー父娘に関係があるのかどうか不明だ。物語はこれを、世界各地を転々としながら、次第に詰めて行くのである。話の転がし方がうまいので読ませる。そして解決編は実に200ページ! ただしかなりの部分が、当時幼女だったエヴァの視点から見たタイタニック号沈没のスペクタクルになっている。よって、ジェイムズ・アンダースン『切り裂かれたミンクコート事件』のような純粋に推理しかおこなわれない解決編を期待すると肩透かしを食らう。ノーマンの推理も本格ミステリ的にはやや厳密性に欠けるところもある。しかし、半世紀にわたり登場人物を呪縛した事件の全貌が、霧が晴れたように明らかにされ、バラバラのように見えていた各種ピースの関連性が浮かび上がるさまは、素晴らしいとしか言いようがない。これはミステリ・ファンには強くおすすめしたい作品である。
 ところで1912年と1962年では世界情勢が本当にガラリと変わっている*1ため、その間が高々50年しか経っていない――たとえば、二十代の青年が七十代の老人になるとはいえ、七十代などまだまだ十分元気でいることも可能な年齢である――ことを忘れそうになる。ネタに抵触するため多くは語れないが、本書は、50年という時間の長さと短さを痛感させる。そしてゆえに、時の優しさと残酷さを痛感させもするのだ。いい作品だと思う。

*1:たとえば、共産主義国家は1912年当時、存在しない。毒ガスも戦車も戦闘機も、ましてや核兵器なども存在しない。騎兵突撃もまだまだ戦場の華であった。