不壊の槍は折られましたが、何か?

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20世紀の幽霊たち/ジョー・ヒル

20世紀の幽霊たち (小学館文庫)

20世紀の幽霊たち (小学館文庫)

 表紙はやや地味ながら、発売後じわじわと支持を伸ばしている短編集である。収録作品数は実に17(数えようによっては18)、フォントサイズはでかいものの、自作解題も合わせて700ページ近くある分厚い本となっている。各編は、ホラーありファンタジーありサイコパスものあり普通小説ありと非常に多彩だが、ド派手な怪奇現象・超常現象・その他大事件をケレン味たっぷりに描くことを主眼に据えているわけではない。代わりに、非常に繊細かつ怜悧な筆致による、濃やかな情感描出が前面に押し出される。登場人物たちの心の動きは、そっとした息遣いの下、非常にクリアに浮かび上がり、我々読者を魅入らせ、感心交じりのため息を誘発するのだ。どの短編が良いか悪いか、という通常なら為されるはずの会話も、『20世紀の幽霊たち』の前では意味をなすまい。ただ敢えてお気に入りを1作だけ選ぶとすれば、やはり「自発的入院」ということになるだろうか。タイトルはやたら無機的な印象があるものの、一種のサヴァン症の弟が地下室にダンボールで作った大迷宮を巡る物語で、奇妙な設定と劇性、そしてどこか寂しげ情感が最も印象に残る傑作である。
 ところで本書を読んでしきりに思ったのは、CRITICA3号に掲載された千街晶之の評論「日常と幻想のグレーゾーン」である。ここで千街は、ミステリにおける《日常の謎》と幻想小説の親和性に着目し、ミステリの世界では「日常と幻想のグレーゾーンを描いた作品群は、反リアリズム志向に基づいているようでいて、逆に幻想小説のかたちでリアリズムを追求」しているのではと推している。ジョー・ヒルの『20世紀の幽霊たち』はいずれもミステリ色が薄いが*1、異界を見る登場人物たちは、日常的感性をもってこれに接していると思しい。つまり、推理小説作家とは明らかに異なるアプローチによるものの、最終的には同じく「幻想小説のかたちでリアリズムを追求」しているのではと思われるのである。……むろん、これは新奇な論でも何でもなく、全く当たり前のことなのだが*2、ジョー・ヒールがこのことを最良の形で実感させることは強調しておきたい。登場人物の視点が、小説が始まる前にも(死ななければ)終わった後にも「生きる」存在のものとして、リアルに感じ取れるのだ。これは作家の力量の証左に他ならない。
 なお作者のジョー・ヒルは、スティーヴン・キングの実子である。「にもかかわらず」と言うべきか否かはよくわからないのだが、親がどうであれ『20世紀の幽霊たち』が素晴らしい短編集であることは事実だ。ホラー好きというよりは、幻想小説ファン・異色作家短編集ファンに強くおすすめしたい。

*1:ただし、誤解されては断じてならないので言っておくが、サイコ・ホラー的な作品は含まれており、これはミステリと思われる。一種のスリルがどの短編でも感じられる、ということには注目したい。ここを衝けば、本書を広義のミステリと主張することも可能だろう。

*2:異界の感性をもって異界を見る、という小説は、作家もまた生きている人間であり文章もちゃんと書ける程度の健全な精神を持つ以上、実質的には執筆不能ではなかろうか。